ドイツからこんにちは。

ドイツの日常で見たこと、聞いたこと、思ったことを気ままに

ドイツで胃カメラ

前回の投稿からほぼ一年ほど経ってしまいました。

ドイツでの育児についてでも書こうかと思いながら、あっという間に時が過ぎてしまいました。

子供は成長し、私は歳を取り。

 

さて、それはともかく。

久しぶりの投稿は、今日ドイツで胃カメラを受けてきた経験についてです。

 

事の発端は、去年9月。

コロナ以来4年ぶりに日本へ一時帰国した際に受けた半日人間ドック。

バリウムでの胃検査で、ポリープが見つかりました。

ポリープの位置が良くないので、医師から胃カメラ検査をお勧めされました。

 

10月にドイツに帰国してから、家庭医(Hausarzt。ハウスアーツト。家庭医、主治医)に消化器内科で胃カメラ検査を受けられるように、紹介状を書いてもらいました。この家庭医の予約も、たまたま3ヶ月前に予約してあったから良かったものの、それがなかったら、まず家庭医探しから始まって、二重で苦労するところでした。

まあ、それは置いておいて。

 

紹介状の発行まではスムーズに行き、次に実際に胃カメラ検査の予約を取るべく、消化器内科探し。これが、本当に大変でした。

日本でも胃カメラの予約はすぐには取れないらしいですが、ドイツはそんな比ではありません。

そもそも開業時間中に、いつ何度かけても電話がつながらない。メールを送っても当然返信なんてこず。私の住んでいる街にある全ての消化器内科に電話をしましたが(確か10-15診療所くらい)、電話がつながったのが、二つほど。一つは新患受け入れはしないとにべもなく断られ、もう一つは、待機リストには載せて挙げられるけど、来四半期にもう一度連絡してくれ、と言われて予約が取れず。

昨年中の予約は諦めて、年が明けるのを待ってから、再度胃カメラ検査の予約取りに奔走。

年が明けてから、幸い2診療所と、1病院で予約が取れたものの、どれも4月。

胃はうるさい臓器らしいから、悪性だったら、何かしら症状が出るんだろうけど、それでも心配っちゃ心配なんですが。。。

 

まあ、そんなわけで、苦労して手に入れた胃カメラ検査予約。

9月にポリープ判定されてから、8ヶ月後にようやくのことです。

 

予約は朝一で、開業時間ぴったり。

何も食べず、何も飲まず、胃は空の状態。

 

受付で、「眠りたいですか?」と聞かれたので、とりあえず「はい」と返答。

日本でも胃カメラを受けたことがなく、これが私の人生初の胃カメラ。

痛いのと怖いのを見ないで済むなら、楽な方を選びます。

 

処置室に来たドクターが紹介状を見るなり、驚きの声。

「いや、紹介状を見て驚いたんだけど、日本でレントゲン検査してポリープが見つかったんだって?なんで日本でそのまま胃カメラ受けなかったの?」

と。

私「え?(゜д゜)

ドクター「日本の消化器内科は進んでいるよ。胃カメラは、日本が発明したんだよ」

(え?そうなの?胃カメラって西欧のどこかで発明されたものだと思ってたし、何となく医療技術はドイツの方が進んでいるイメージをもっていたよ。日本、ごめん。)

私「日本人は年に一回健康診断を受けるんです」 (注釈:ドイツでは年に一回の健康診断の義務はありません。日本ほど、病気の早期発見に力点が置かれていません)

ドクター「日本では胃がんの比率が多いもんね。で、胃のレントゲン検査を受けたのは、特に何かあったからではなくて、普通に検査で?」

私「はい、日本に去年帰ったので、健診を受けたんです。でも、日本に滞在していたのは1ヶ月だけで、そんなにすぐには胃カメラの予約を取れなかったんです」

と説明して、ようやく納得したドクター。

看護師さんに、ちゃんとご挨拶した?と聞いたドクターは、私に「コンニチワ」とお茶目に日本語で挨拶してくれてから、処置に入りました。

検査は寝ている間に終了。全く痛み無し。

 

起こされて、まだ寝ぼけ眼な状態で、待機室に移動。

しばらく待機してから、医師との面談。

 

検査後12−24時間は一人で外に出てはいけないと、法律で規定されているらしく、夫に迎えに来てもらって、帰宅。

 

家に戻ってから、オリンパスで内視鏡の開発をしていた友人に、「胃カメラって、日本の発明品?」と聞くと、「そうです!!オリンパスの発明品!!」との返答が。

そうだったんだ。知らなかった。

良い勉強になりました。

 

今年日本に帰ったら、バリウムじゃなくて、胃カメラ検査やってもらおう。

 

胃カメラ検査イメージ

 

ドイツの病院食

「ドイツの病院食はひどい」

というのは、在独日本人からよく聞く話。

私も覚悟していました。

 

が、実際に入院して病院食を食べてみた感想。

「悪くない。むしろ、結構良い」

でした。

量は確かに少なかったです。でも、味は悪くは無かったです。

以前勤めていた会社の食堂で提供される食事が塩多めで、いつも食後に喉が渇いていたのですが、そんなことはなく、薄味過ぎでもなく、ちょうど良かったです。

 

日本だと3食料理された温かいご飯が出てくることも珍しくないと思いますが、ドイツでは一般的ではありません。

ドイツでは、1日2食は火を使わない冷たい食事kaltes Essen(カルテスエッセン)で1食だけ火を使った温かい食事warmes Essen(ヴァーメスエッセン)を食べることが多いです。

例えば朝ご飯にシリアル、昼ご飯にパスタのような温かい物を食べたとしたら、夜ご飯はパンみたいな感じです。

ただもちろん家庭や人によって違うので、必ずこうだという訳ではなく、二食、三食温かい食事を取る場合もあります。

 

そういう食文化の違いがあるので、ドイツの病院食も朝晩2食は冷たい食事で、昼1食のみ温かい食事が提供されました。

食事は前日に担当の人(病院に食事を提供している会社の人)が希望を聞きにきてくれ、週末前は土日の分をまとめて聞かれました。

市内の別の病院で出産経験のある同室者は、前の病院は希望を紙に書いて出したと言っていたので、希望の聞き方は病院によって違うようです。

 

私は妊娠糖尿病持ちで、極力糖質を食べない食生活をしていたので、糖質だらけの病院食には戸惑いました。が、これを拒むと他に食べるものがありません。食べる物がないなら仕方がありません。もはや最後の数日間で胎児が激太りすることもないだろうと腹を括り病院食を食べました。せめてもの抵抗として、パンは小麦ではなく全粒粉のパンを、ヨーグルトは無糖の物を選んではいました。そして、数値を見ると気になってしまうので、入院してからは血糖値を測定しませんでした。知らぬが仏戦法です。

 

お腹が空き過ぎて、出産後に少しトラブルに見舞われたものの、

かねてから聞いていたドイツの病院食の悪評は、意外にもいい意味で裏切られました。

 

月曜から日曜までの食事のメニュー。主菜は、普通、軽め、肉無しから選べ、デザートは二種類から一種類選べる(果物か別の何か)。夜ご飯は、パンの付け合わせにする物が選べる。

朝ご飯のメニュー。パンとパンに塗る物、付け合わせ、飲み物。間食。

夜ご飯。パンは、全粒粉のパン、ミッシュブロート(ライ麦と小麦粉を混ぜたパン)、小麦のパン、ライ麦パン、甘くないラスクから4つまで選べる。パンに塗る物(ヨーグルトバター、マーガリン)は、二つ選べる。

ある日の朝食。全粒粉のパン、エダムチーズ、ヨーグルトバター、蜂蜜、ナチュラルヨーグルト

ある日の昼食。ヌーデルタッシェ(トマトソースにラビオリみたいなパスタが入った料理。ベジタリアン仕様)とキーウィ。

また別の日の昼食。鮭包みのパスタのホワイトソース合え、サラダ、ハーブのドレッシング、セモリナプリン。

また別の日、出産直後に食べた昼食。ディンケル麦のスパゲティとレンズ豆のボロネーズソース和え。これにサラダ、ハーブのドレッシングと林檎もついていました。

ある日の夕食。全粒粉のパン、ミッシュブロート、ダブルクリームのフレッシュチーズ、色とりどりのヌードルサラダ、ヨーグルトバター、フルーツヨーグルト。

出産前日の夜18時に食べた夕食。全粒粉のパン、燻製チーズ、ゴーダチーズ、ハーブ入りフレッシュチーズ、ヨーグルトバター、きゅうり。これじゃお腹空くよ。。

 

陣痛カクテル

出産を終えて病室に戻り、朝ご飯を平らげて家族親戚友人への報告を済ませ、昼ご飯を少し口にして一息ついてから、ようやく少し寝るために目をつぶりました。

 

うとうとする中で、新しい同室者が入院してくる音が聞こえました。赤ちゃんはいないので、彼女も管理入院なのだろうと思いました。陣痛で苦しい時に励ましてくれた同室者は、私が病室に戻ってきた時に退院していきました。

 

起きてから新しい同室者と話をすると、彼女は三人目を妊娠中で誘発分娩のために入院したということでした。ただ彼女は経産婦なので私とは違ってバルーンではなく、陣痛カクテル(Wehencocktail。ヴェーヘンコックテール)を飲んだということでした。出産準備コースを受けた時に、予定日を過ぎても陣痛がこない場合は陣痛カクテルを試すと良いとは聞いていましたが、全く効果を信じていなかったので、病院でそんな民間療法的な方法が取られるんだということに驚きました。彼女もそう思っているようでした。

これで陣痛がこなければ彼女も明日から陣痛促進剤の錠剤を飲んでいくことになるということで、私の話を聞いて、長丁場になりそうだと想像しうんざりした顔をしていました。家に娘さんが二人いるので早く戻りたいようでした。

 

21時頃にシフト交代のタイミングで夜勤の看護師さんが様子伺いに来ました。同室者は?と彼女の居場所を聞かれたのですが、分かりません。彼女は19時にCTG(胎児の心拍数と子宮収縮測定)に行ってから戻ってきていませんでした。散歩に行ったのかな、三人目の出産ともなると余裕があるもんだな、くらいに考えて特に気にしていませんでした。看護師さんは引き継ぎメモを見て、「どこかに行ってるだけね」と言ったので、私は「ハイ」とだけ答えました。

 

その時です。

病室のドアが開きました。

見ると同室者が車椅子に乗っています。

え?車椅子?

と思うと同時に、彼女の後に赤ちゃんの乗ったベッドを押す別の看護師さんの姿が見えました。

 

えー!?

何?!

どこかほっつき歩いてると思ってたけど、産んでたの?!

 

彼女曰く、19時にCTG測定に行った時には陣痛を感じなかったものの、少し子宮収縮が見られたそうです。経産婦ということを考慮して助産師さんに念のため分娩室にいくよう言われた彼女。陣痛きてないのにな、と渋々分娩室に移ったら陣痛がきて、あっという間に出産に至ったそうです。

凄い。

経産婦はお産の進むのが早いとは聞いていたけど、こんなに早いとは。どこかをぶらついていると思っている間に産んじゃったよ。

 

あまりの展開の早さに私も彼女も看護師さんも笑ってしまいました。

 

日本にはオロナミンCを飲むと陣痛がくるというようなジンクスがありますが、陣痛カクテルもそういうジンクス的なものだと思っていました。

だけどジンクスじゃありませんでした。ちゃんと効き目ありました。私が見た症例1例だけですが。

彼女が飲んだそのもののレシピは分かりませんが、陣痛カクテルの材料はひまし油、あんずジュース、アルコール(スパークリングワインや蒸留酒など)。それにアーモンドペーストやバベンソウ(Eisenkraut。アイゼンクラウト)を入れることもあるそうです。ひまし油の成分のリシノール酸が小腸や子宮を刺激して、下剤として作用するだけでなく陣痛を起こす作用もあるそうです。

長引く予想から一転、陣痛カクテルの効果で、我が子と同じ日に産まれた赤ちゃんが新たに同室に来たのでした。

 

イメージ図



ドイツで出産 ー無痛分娩ー

出産予定日にバルーンを入れて管理入院。その翌日から二日間陣痛促進剤を飲んだ後の続きです。

 

22時にベッドに横になったものの、なかなか寝つけません。

何故だか寝苦しい。

なかなか眠れず横になっているうち、お腹が痛いかもしれないと思い始めました。

1時間くらいそうして眠れずもがいてから、試しに痛みの間隔を測ってみました。

すると、どうもお腹の痛みは2、3分間隔で来て、痛みは1分ほど続いているようでした。

ん?これが陣痛ってやつか?

前日に「そんなの普通のことよ」と呆気なく助産師さんに言い放たれた記憶があるので、これが陣痛なのかいまいち確信が持てません。

 

痛みの間隔を計測し始めてから30分ほど経ったあたりで、風船のようなものがパツーンと下腹で割れたような感覚がありました。

最初、おならしたかな?と思いました。

おならだったら、またこんな感覚があるかもしれない、と思ってしばらく待ってみたものの、ありません。

おならではなかったか。

ってことは、これが破水っていうやつなのかな。

この頃になるともうお腹の痛さがはっきりしてきて寝付けず。破水もしたようなので、24時になって看護師さんを呼びました。

看護師さんに分娩室に行くよう指示され、向かう途中で夫にメッセージ。

「陣痛がきたっぽい。破水もしたっぽい」と。

破水と聞き、

「もう産まれるじゃん!もう病院行った方が良い?」と慌てる夫。

「いや、まだ良い。タイミングになったら連絡する」と返信。

 

分娩室に着いたらまずCTG測定(胎児の心拍測定)。

測定中もお腹が痛く、苦しい。

測定後に見てもらうと、子宮口の開きは2cm。

子宮口全開は10cm。

全開にならないと、いきみを開始して赤子に出てきてもらうことができません。

愕然。こんなに痛いのにまだ2cmだなんて。

初産の妊婦は子宮口1cm開くのに大体1時間かかるらしいので、あと8cm、8時間。

無理、8時間も身体持たない 。゚(゚´Д`゚)゚。

 

愕然としていた私に助産師さんは痛み止めの点滴を打ってくれました。

点滴中ふと携帯を見ると、夫からのメッセージが。

「病院に着いた」と。

あれ?まだだって言ったのに。

痛み止めが全身に回って15-20分後には効いてくるという助産師さんの言葉を信じて、夫と廊下のベンチに座って話して痛みが和らぐのを待ちました。が、一向に痛みはなくなりません。腰掛けて話をするのも辛くなってきたので病室に戻ることにしました。

苦しんでいる私を残して帰るのに後ろ髪引かれている夫。

後ろを見る余裕もなく、看護師さんに支えてもらいながらよろよろ歩く私。

病室に戻ると、同室者が心配して励ましてくれました。

「私は子宮口3cmから4cm開くのに1時間かかったけど、4cm開いてからはあっという間だったよ」

と。かすかな希望。私もそうであって欲しい。

ベッドに横になって痛み止めが効くのをひたすら待ちましたが、1時間経っても効きません。

もうダメ。もう一度痛み止めを打ってもらう。

分娩室に行き、先ほど痛み止めを打ってくれた助産師さんに、

「痛み止めが効きません」と言うと、

「効かなかった?痛みが強くなったんじゃなくて?」と聞かれました。

痛みが強くなったかどうかは分からないけど、痛み止めの効果ははなから感じられなかったけどなと思っていると、

「まずはCTG」と。

えー!?この期に及んで、CTG?!

痛いよ、すぐに痛み止め打ってー。と心の中で叫ぶも、そんなわけにはいかず、CTG測定。

測定が始まってから助産師さん、「もし希望するならPDA(無痛分娩)もできるよ」と。

願ってもない提案。

「はい、ぜひお願いします」

飛びつきました。

陣痛できつい中の同意書記入には時間がかかりました。

事前に同意書をもらって読んでおいてよかったです。

測定後に子宮口の開きを見てもらうと、8−9cm。

やったー!同室者の言う通り、1時間でかなり進んだ!⸜(*ˊᗜˋ*)⸝

あと少し。それも麻酔を打ってもらうから、楽になる。

 

助産師さんが分娩室の準備に行かれた時に、夫に電話。

夜中の3時20分。

プルー、プルー。

でろー。これで出なかったら恨むぞ!

と思った所で、寝起きの夫が出てくれました。

陣痛で苦しい中、かろうじて発した一言、「Komm(コム。来て)」。

それですぐに理解してくれた夫、「向かうよ」。

 

3時25分、分娩室に移動。

助産師さんが、今から麻酔科医を呼ぶね、と。

えー、今?! 先に電話してくれてても良かったじゃん?! (;Д;)

陣痛がきつ過ぎて、ちょっとの待ち時間でも長く感じられました。

麻酔科医が来てからいくつか問診がありました。

それ問診票に書いたんで、いいから早く麻酔入れてー。って心の叫び。

「妊娠中に何か問題はありましたか?」

と聞かれた時、ちょうど陣痛の波が来ている時で、口を開けませんでした。

すると、代わりに助産師さんが「妊娠糖尿病」としれっと答えてくれました。

続けて「それ以外何かあったら、自分で言ってね」と。

陣痛で苦しかったけど、思わず笑えました。

 

そんなこんなでようやく麻酔。

陣痛がきたら休憩するから言ってね、と言われましたが、

幸い麻酔を入れられている時に陣痛はきませんでした。

何故だか麻酔を入れてもらっている間、脚がガクガク震えました。

私、びびってんのかな、と思いましたが、助産師さん曰く、それは薬が効いている証拠だ、とのこと。

本当にそうなのか、優しさからの励ましなのかは分からないですが、麻酔無事終了。

痛みがいっぺんでなくなりました。

驚異の効果。

 

麻酔のおかげで安らいだ所で、夫到着。4:10頃でした。

「束の間の休憩を楽しんでね」と言って、助産師さんが私達だけを残してどこかに行ってしまいました。

夫は当然のごとく眠そうだったので、側に座って寝てもらい、私も少しうとうとしました。

少し前に陣痛で悶えていた時と打って変わって分娩前にこんなに平穏に過ごせるなんて、無痛、最高。

 

4:50頃に助産師さんがいらして子宮口の開きを確認。8−9cm。

麻酔を入れてから陣痛がなくなって、子宮口の開きも止まってしまったようでした。

そのため陣痛を起こす点滴を打たれました。

陣痛はくるけど痛みはしない、と説明されましたが、陣痛も痛みも何も感じませんでした。

 

そうこうするうちに、シフト交代。

早番の女医さんが来て、どんな感じか聞かれました。

「陣痛は感じません。お尻に何かある感じはします」

と答えると、

「それが頭よ」

と。

続いて早番の助産師さんが来て、同じ質問。同じ回答。

「それが頭よ」

と、これまた同じ反応。

そうなのかな。

そんな受け答えをしているしている間にも私のお腹はぐーぐーなるなる。

助産師さんが気遣って、朝食を食べるか聞いてくれました。

お願いすると、朝食と温かいお茶まで持ってきてくれました。

至れり尽くせり。

朝食を食べている間も夫は横で寝ていました。

6時頃のことでした。

 

この時で子宮口の開きがどれくらいだったか覚えていないのですが、多分全開になっていたのではないかと思います。

朝食を済ませてから助産師さんが、陣痛がきていきみたかったらいきんでね、というようなことを言われたので。

ただそう言われたものの、陣痛はきません。私が感じるのは便意だけ。

陣痛を起こす薬をさらに入れてもらったものの、陣痛はきません。

このまま待っていても陣痛を感じないだろうなと思い、試しにちょっと踏ん張ってみました。

助産師さんが、「上手、上手」と褒めてくださったので、どうやらこれで良いらしいということがわかりました。

7時頃のことでした。

陣痛の波と一緒にいきんで、と言われるものの、陣痛の波を感じれないのでいきみ時が分かりません。

そして麻酔の効きが良過ぎて下腹に感覚がないので、どこに力をかければいいのかも分かりません。

CTGは胎児の心拍数だけじゃなくて、子宮の収縮も測定していて陣痛の波が分かる(ということをこの時知った)ので、CTGのモニターを見ている夫に、今じゃないよ、と教えてもらうほど、適当にいきんでいた私。

そんな感じで四苦八苦している私を察してか、助産師さんが提案。

「Hocker(ホッカー。風呂場の腰掛け椅子みたいなの)試してみる?」と。

試してみたら、これが私には合っていました。

力をかける場所は、これまでの記憶と経験を総動員して、いつもトイレでしている感じを思い出し。

いきみ時は、CTGのモニターに映し出される陣痛の波に合わせて。

私の友人は5いきみくらいで赤子が出てきたと言っていたので、私もふん、ふん、くらいで産めるかと思っていましたが、さすがにそんなにすぐには出てきませんでした。

それでも踏ん張るたびに助産師さんが、「上手。すごく上手」とものすごく褒めて下さったので、このやり方で間違っていないんだと思えました。

何よりCTGを見て、胎児の心拍数が上がりも下りもせず安定していたので、赤ちゃんが平気なら私はこの調子でやっていけばいいんだと落ち着いていられました。

そうして何度か踏ん張ったら頭が出てきて、再度踏ん張ったら、肩から下の部分がニョロっと一気に出てきました。

9時5分。

産まれました。

 

臍の緒は夫が切断。

ちょっと緊張していたようです。

 

赤ちゃんを肌に直に置くカンガルーケアをしたいか助産師さんに聞かれて、「はい」と答えると、

軽く血を拭いて渡してくれました。

 

母乳育児をするつもりか聞かれて、これも「はい」と答えると、

助産師さんが赤子の口を胸に持ってきてくれました。

産まれたばかりなのに、意外としっかり咥えるもんだな、と思っていたら、

これまた助産師さん、「手伝っていないのに咥えた。良いね」と褒めてくれました。

まだ母乳は出ていなかったと思うけど、必死で吸い付く赤子の姿は可愛かったです。

 

女医さんが裂傷処置をしてくれている時、何だか力が抜けた気がしました。

傍にいた夫に「何だか力がない気がする」と言うと、

夫「それはそうでしょう、大仕事をしたんだから」と。

それを聞いていた女医さんが「めまい?」と尋ねた時に吐き気を感じ、

「吐き気」と返答。

女医さんに指示されて、夫がヘルプ紐を引っ張ると、どこかにいっていた助産師さんがすぐに戻ってきました。

「吐くならここに」と袋を持ってきてくれたものの間に合わず。

お腹にあったものを全て出してしまいました。

汚してしまったところを一旦綺麗にするため、赤子は移動。

その間夫がカンガルーケアをしました。

赤子は夫の胸に吸い付いて、

「僕のを吸っても何も出てこないんだけどなあ(*ˊᵕˋ*)」

と夫はちょっと嬉しそう。

そんな様子を見て、皆んなちょっと和みました。

 

何かの測定とビタミンKの経口投与があったので、助産師さんが赤子を連れていきました。

どんなことをするのか見ようと、首を左に向けて上半身を少し持ち上げたところ、ふと、力が入らないような、気持ちが悪いような感じがしました。

夫の顔が見えたので、調子が悪いことを伝えようとした所で、意識がなくなりました。

目を開けると私は数名のスタッフに囲まれていました。

助産師さんに「私たちのこと分かる?」とのぞきこんで声をかけられています。

一体どういうことなんだろう。助産師さんの声は聞こえるし、分かるけど、なんで私の脚持ち上げられているんだろう。とりあえずお腹が空いているから伝えよう。でもHunger(フンガー。空腹)とだけ言うのも幼稚な言い方だよなあ。いや、まずは分かりますって返事すべきかな。んー、そもそも、口が重くて声を出すのが面倒だな。

などと考えて反応しないでいると、

別の方が、「彼女分かっていない」と言って出ていこうとしました。さらにヘルプを呼ぶつもりだったのでしょうか。

いけない。聞こえているっていう意思表示をしなくちゃ。そこでようやく口を開きました。

「思うに、私エネルギー源が必要です。」

点滴を受けつつ、血圧や血糖値測定、縫合箇所の失血確認などをされている間にようやく状況が理解できてきました。

分娩前に食べた朝食まで全て吐いてしまったせいで極限にお腹が空いて低血糖状態に陥ってしまい、意識を失ってしまったんだ、と。

点滴と口に入れてもらったブドウ糖タブレットのおかげで大分回復。

分娩室まで病室のベッドを持ってきてくださり、そこに乗り移してもらって、寝転がったまま病室に戻りました。

赤子は私の後からやってきました。

11時15分頃。

母子共に病室に到着。

赤子が出てきてから2時間ほど経っていました。

 

いやはや、赤子が産まれた後に少しトラブルがありましたが、

母子共に無事に出産を終えることができて本当に良かったです。

 

Hocker(ホッカー)のイメージ図。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドイツで誘発分娩

ドイツでは、妊婦検診は診療所のような婦人科医で診てもらい、出産の時だけ産科のある大きな病院に行きます。

自宅出産を希望する場合は、助産師さんに家に来てもらって自宅で産むこともできますが、私は産科での出産を希望。

私の街には産科病院が三病院ありますが、そのうち小児救急のあるのは一病院だけ。

私にはリスク要素があったので、万が一でも安心な小児救急のある病院で産むことにしました。

病院のサイトには事前登録は要らないと書いてあったのですが、病院に電話した所、予定日の1ヶ月前に産科の医師と出産計画について話し合うための予約を入れてくれました。

私は妊娠糖尿病持ちの高齢妊婦だったので、予定日までに陣痛がこなければ誘発分娩を行うことに決まりました。

まずはバルーンを入れて、1日待って陣痛がこなければ陣痛促進剤の錠剤を服用するという流れ。

出口(子宮口)が開いていないのに陣痛がきてお腹だけ痛くなっても、赤子は出てこれず無駄に痛い思いをするだけなので、まずは機械的に出口を開こうという作戦。

 

予定日までに陣痛が来ることを淡く期待しましたが、予兆は全く無く。

子宮口は固く閉じたまま。

 

<予定日>
ということで予定日の13時に産院へ。

予約通り来ましたと受付に言うと、予約が入っていない、と。

産院の医師から婦人科医に宛てた書面に書かれていたから私の勘違いってことはないんだよなあ、と思い粘っていると、

「医師の所見は見つけた。けどシステムに予約が入っていない。今日は帝王切開の予約が立て込んでいる」

と。

え、そんなこと言われても。。。どうなるんだ、私(・ω・;)

続いて、「Einweisung(アインヴァイズンク。指示書)は?」と。

「先月来た時に渡しましたよ」と答えたら、

「先月もらったのはÜberweisung(ユーバーヴァイズンク。委任状)。EinweisungとÜberweisungは違う」と。

え、そうなの?!そういえば妊娠39週で最後の妊婦検診で婦人科医に行った時、「Einweisungはいる?」って聞かれた気がする。

で、私「先月もらっているから大丈夫です」って答えた気がする。

しまった。

Einweisung とÜberweisung が別物だなんて知らなかった。医者から発行される何とかヴァイズンクって書類だからどちらも同じものだと思ってしまった。

Einweisung が無いと入院費用が保険でカバーされず、自己負担になってしまうとのこと。とりあえず5日以内に持ってくるということで、通してもらえました。

ふう。焦った。受付手続きでちょっとばたついたよ。ε-(´*)

 

まずは採尿、体温、血圧、CTG(胎児の心拍数)測定。それから医師の診察。

超音波で胎児を確認。赤子が元気に動き過ぎたため大きさを正確に測定できず。

まあ良いでしょう、とのこと。

はい、巨大児じゃないことが分かれば良いです。

それからバルーン処置について医師からの説明。カテーテルを触って確認までさせてくれるほど説明がとても丁寧でした。

そしてバルーンカテーテル挿入。

どれだけ痛いか心配していましたが、下腹が中から圧迫されるような、キーンとした感じがあっただけで、痛みというほどのものではありませんでした。顔をちょっと強ばらせればしのげる程度。

そこに水注入。水が入ってバルーンが膨らんでいる感じはなく、痛みは全くありませんでした。

ぶらぶら下がっていたカテーテルを止めてもらって終了。

さて家に帰るかと身支度を始めた所でお医者さん、私の年齢に気がついたようで、

「家に帰ることももちろんできるけど、年齢的にわずかながらリスクがあるから病院に留まることもできますよ。どうします?」と。

家にいても落ち着かないし、家で陣痛がおきてあたふたするよりはこのまま病院に残らせてもらった方が安心だと思ったので、

「それなら病院に残りたいです」と即答。

入院決定。

 

病室に案内されてから30分後に夕食が運び込まれ、食べ終えた頃に夫が入院バックを持って面会に来てくれました。

夫とは会えたのは1時間ほどでしたが、午後中気を張っていたので知った顔を見たらホッとしました。

 

夜一度CTG測定をしてこの日は終了。

23時前に床についたものの、なかなか寝付けませんでした。

案ずるより産むが易しというけれど、こんなにハラハラするくらいならさっさと産んでしまいたいと思いました。

 

<予定日+1日>

朝食前にCTG測定。測定途中に錠剤二錠を飲みました。この錠剤が陣痛促進剤です。

1回2錠、1日4回(1日合計8錠)、4時間おきに飲んでいくとのことです。

 

午前中出血があり、バルーンを抜いてもらいました。

いよいよ近づいてきたのか?!と期待が高まりました。

 

夕飯を食べている時から何だかお腹が痛い気がしてきました。

試しに痛みの間隔を測ってみたら、大体3、5分おきに痛みがきている模様。

いよいよ陣痛がきたか?!と思い、この日最後の陣痛促進剤服用の時に助産師さんに、

「痛みがある」

と言ったものの、

「それは普通のことよ」

と言い放たれだけでした。

前駆陣痛か微弱陣痛か何かなのかもしれませんが、本陣痛ではなかったのでしょう。

翌朝また錠剤を飲みに来るよう言われてこの日は終了。

 

<予定日+2日>
明け方もの凄い寒気に襲われて目が覚めました。全身ガタガタ震えていました。

ナースコールを押そうにも、寒過ぎて腕を布団から出せません。同室者に声をあげて助けを求めることもできません。

誰か気づいてー、と祈りながら、物凄い身震いに疲れて再び眠りにつきました。

これが陣痛促進剤の副作用なのかは不明です。

 

朝の悪寒が気になって、一体どういう陣痛促進剤が処方されているのかを看護師さんに尋ねました。

ずーっと「錠剤(タブレット)」とだけ言われていて、一体どういうものを服用しているのか知らなかったのです。

本来なら処置を決めた医師に確認しておくべきだったのに、「飲む段階になったら説明があるだろう」と思い込み、確認していませんでした。当然処方される時に説明はなく。

母が私を産んだ時、新薬を試したい医師に半ば無理やり陣痛促進剤を使われ、私を産んだ後の出血が止まらなかったそうです。幸い何とか出血が止まり、生理食塩水の注入だけで済んだそうですが、翌日も大量失血の後遺症で支えてもらわなければトイレにも行けなかったそうです。その当時陣痛促進剤による影響で分娩後の大量失血が原因で死亡した例もあったそうです。死亡には至らなくてももし輸血されていたら、当時の管理不十分な血液製剤が原因でC型肝炎にかかったりしていたかもしれないので、まさに命懸けの出産だったようです。

そんなホラー話を聞いておきながら、どんな陣痛促進剤が処方されて、どんな副作用があるのかをきちんと確認しておかなかったのだから、私も抜けています。

看護師さんは、

「自分は助産師じゃないから有効成分は分からない。ただAngusta(アングスタ)という名前だ」

と商品名を教えてくれました。

ネットで調べると、ドイツでは2020年9月から承認されて使用されている陣痛促進剤だということがわかりました。ただ、なかなかグレーなプロセスで認可された促進剤のようで、胎児への影響などまだ完全に明らかにされてないこともあるようでした。

そのことを伝えると夫も急に心配になったようで、明日にでも別の処置に切り替えるよう強く要請しろ、そうでなければ一旦退院して様子を見せて欲しいと頼んでみろ、と言ってきました。

今日陣痛が来なければ、明日も引き続き錠剤を飲んでいくと言われていたのですが、夫には言えませんでした。

 

夜19時半、最後のCTG測定と陣痛促進剤服用。

あー、今日も何もなかったなあ。また明日も同じことを繰り返すのか。┐(’~`;)┌

明日陣痛きたとしたら、長い1日になるから、早めに床に就くか。

と22時にはベッドに横になりました。

遅かれ早かれ必ずお腹から出てくるのは分かっていても、待つの、ほんと辛かったです。

ドイツで妊娠糖尿病生活

妊娠24週でスクリーニング試験(50g糖負荷試験)を受けて、1週間後に婦人科の先生から電話連絡を受けました。妊娠糖尿病の疑いあり、精密検査を受けてね、と。ちょうど引越しをしている週で、夫と義母と3人で昼食を食べている時でした。食後に義母の焼いてくれたバナナケーキを食べようと思っていたけど、その連絡をもらってやめました。

ドイツでは医者の予約を取るのが物凄く大変なので、精密検査の予約を取れるかハラハラししましたが、運良く予約が取れて、妊娠26週6日目に75g糖負荷試験を受けました。結果、妊娠糖尿病との診断。翌々日に血糖値測定の仕方や食事療法について指導を受けました。

 

妊娠糖尿病と判明してから、ひどく落ち込みました。

街歩きも食事も買い物も、何もかもが面白くなくなりました。

まさか私がなるなんて。なんで私が、という思いに絶えず囚われていました。

街を歩く人、特に太っている人が何か食べているのを見ると、この人はこんなに太っているのに、好きなものを食べられていいなあ、私は食べられないのに、と鬱々落ち込み。

夫に、「Lass es dir schmecken(ラス エス ディア シュメッケン。美味しく召し上がれ、的な言い回し)」と言われると、毎回、美味しい訳あるか!と内心腹をたて。

食後に「Bist du satt?(ビストゥ ドゥ ザート。満腹になった)」と言われると、「満腹になる訳ないだろ、これだけで。妊娠糖尿病が分かってから私はいつもお腹が空いた状態なんだよ!」と、時折半ギレ。

義母と義妹、義妹の婚約者がベビーベッドをはるばる届けに来てくれた時、皆んなは手土産に携えてきたクッキーやケーキを賞味。それを横目に、私はサラダ。みんなで食事に行った時、「これなら食べられるんじゃない?」と気にかけて声をかけてくれると、どの食材なら自分の血糖値が上がらないか分かるからほっといて欲しい、届けるもの届けたら帰ってほしい、と身勝手にも内心いらつき。完全に塞ぎ込んでいました。

こんな辛い思いをするなら、早く妊婦生活終わって欲しい、でも今赤ちゃん出てきちゃうと早産になって赤ちゃん大変だから、もう少しお腹にいてもらわないといけない。もっと大変な状態の妊婦さんだっているのに、早産になったことを申し訳なく思う妊婦さんもいるくらいなのに、自分はなんて身勝手なことを考えるんだろう、とか、堂々巡りな気持ちに毎日苛まれていました。

 

それに私の場合、血糖値測定の回数が多かった。

ネットを見ても友人・知人で妊娠糖尿病になった人に話を聞いても、血糖値測定は1日4-7回ということでしたが、私の場合1日10回。それも最初の1ヶ月は毎日

人によっては、慣れたら痛くなかったと言う人もいるようですが、痛い。指に針刺して血を出すんだから、地味に痛いんですよ。それも10回という頻度なので、起きている間はほぼ毎時間血糖値測定のような状態。ゆっくり外出なんてできない。出先でももちろん測定できるけれど、人前で血を見せるのは憚られるので、測定場所を選ぶ。ので、できるだけ家で測定できるように行動するようになりました。

 

それに、仕事をしながら妊娠糖尿病と付き合っていくのが、非常に大変でした。

市販の出来合いの食べ物は、密かに糖質が含まれていることがあるので、安心して購入、賞味することができません。ということで、3食毎回自炊。これがきつい。ただお腹を満たすために適当に作ればいいんじゃなくて、血糖値があがらないように、糖質制限を考えた献立にして食べる順番にも気をつけないといけない。ほぼ野菜、それにタンパク質を取り入れた品。お金も時間もかかる。

「管理栄養士の考える糖尿病患者向けメニュー」とか「糖質制限レシピ」みたいのを見ても、味付けに平気で砂糖、みりん、麺つゆ、日本酒を使っていることがあって、参考にできないものが多い。妊娠糖尿病は、糖尿病患者よりも厳格な管理が必要なんです。ということで、献立は自分で考えるか、間違いなく糖質オフだと言えるレシピを探すしかない。ただ制限の多い中で、新しいレシピに挑戦しようなんて前向きな気持ちにもなれず、大体似たようなものを作って食べていましたが。そんな訳で、献立を考えるのも大変だし、作るのも手間。その後の洗い物も面倒。そして食後はすぐに散歩して血糖値測定。

そうしていると、朝は始業9時ギリギリになるし、昼休みは1時間では収まりきらなくて、1.5時間にはなってしまう。昼休み延長した分だけ遅くまで仕事。

毎日生きるので精一杯でした。なんなら、毎食やり過ごすのでも精一杯でした。

妊婦アプリで、「あと◯◯日」というカウントダウンを見ると、とりあえず今日はやり過ごせた。でもまだこんなにあるのか。きついよ。早く終わりにしたい、という思いに駆られていました。

有給を1週間合わせて、1週早く産休に入りましたが、仕事のストレスや両立がなくなって、精神的には大分楽になりました。

産休に入ってからは、毎食後の散歩時間を増やして、血糖値の上がらない生活を送ることに注力。

そのおかげで、なんとかインスリン注射はせずに済んでいます。

妊婦用に安全性が確認、認可された治療薬がないから、妊娠糖尿病の場合、食事・運動療法(妊婦は食事療法メイン。運動療法は散歩くらい)で血糖値管理できない場合、即インスリン注射になるんです。妊娠糖尿病が分かって間もない頃は、ダメでも薬物療法でいけるかな、くらいに考えていたんですが、薬ないんですね。

 

血糖値測定だけでも痛いのに、インスリン注射なんて、絶対嫌。

できるだけのことをしてなんとしても避ける、という決意のもと食事療法(糖質制限食)と運動療法(毎食後の散歩と毎日のヨガ)を続けてきた妊娠糖尿病生活も、3ヶ月とちょっと。

今妊娠39週。

胎児は大きすぎず、小さすぎず順調に育っています。

来週無事に子供が産まれてきて、晴れて妊娠糖尿病生活におさらばして、糖質解禁できるのが待ち遠しいです。

血糖値測定キット

針(左)と試験紙(右)

針を取り付け

針の上の部分を回すと覆いがねじ切れて針がでてくる。キャップを被せると、針は見えないようになる。丸い緑のボタンを押すと、針がキャップの穴を通って出てくる仕組み。針の出る長さはメモリで調整。指導士によると普通は「4」だと。少しでも苦痛を和らげるべく、メモリ「3」にして小指で測定を繰り返していたものの、指導士に「ラボの機械と測定キットとの測定値が違う。メモリを4にしてもっと深く刺して」と指導を受け、メモリを4に戻した。

試験紙をセットした状態

測定結果。食事前75なので、正常。












 

ドイツで初妊婦 ードイツと日本の大きな違いー

2022年は、結婚、引越しと変化の多い年でしたが、中でも一番の変化は妊娠したこと。

これまで自分のやりたいことを優先してきて、子供を持ちたいと真剣に考えたことがなかった私が妊娠。それも高齢の初妊婦。

知らないことだらけの世界。

ということで、妊娠してから、情報集め。

未知の情報を得るのに、やはり日本語で情報を得た方が手っ取り早いので、日本のサイトやドイツで妊娠、出産された方のブログを多々参考にさせていただいたり、友人・知人に教えてもらったり。

 

その中で気がついた、日独での大きな違い。

それは、ドイツで子供を産むのにお金はかからないということ。

 

そういうと、日本の場合、出産一時金がでるよ、と教えてくれる人も結構いましたが、

ドイツの場合、分娩、入院費用だけじゃなくて、妊婦検診、出生前診断(これは2022年の7月から保険適用になった。それまではドイツでも有料)、血液検査、出産準備コース(両親学級)、無痛分娩、産褥期の助産師家庭訪問等々、出産に関わる費用全てに保険が適用されて自己負担ゼロ。ドイツの健康保険は、公的保険とプライベート保険(俗に金持ち保険とも言われている)の二種類ありますが、どちらにしても全て保険が適用されます。

臨月に受けるGBS(B群溶血性レンサ球菌)検査は、完全負担ではなく、補助限度額が決まっていますが、それでも自己負担15EUR(1EUR=140JPYとして、2100円ほど)ほど。

あと私の場合、妊娠糖尿病と診断されて内分泌科で指導を受けなくてはいけなかったのですが、私の保険会社は費用を負担してくれなかったので、指導費用2回分は自己負担になりましたが、血糖値測定器、測定試験紙、測定針は保険適用で自己負担無しでした。(針のみなぜか一回だけ一割の自己負担が必要でしたが、1.5EUR(210円)だったので、ほぼ保険適用ということで)

 

日本人からもドイツ人からも「妊娠は病気じゃないから」という言葉を聞きましたが、

ドイツ人からは、「妊娠は病気じゃない。から、身体は動かして問題ない。」という文脈で、

日本人からは、「妊娠は病気じゃない。から、保険はきかない。」という文脈で

よく聞きました。

日本の場合「妊娠は病気じゃない」という言葉を政府が悪用して、保険のきかないのをもっともらしく言い訳して、日本にいる人達は、保険適用されなくても仕方がないように思い込まされているような気がしました。

少子化対策っていうなら、まずは出産に関わる費用全てを保険適用するところから始めるのが先決なんじゃないか、と自分の妊娠をきっかけにふと考えてしまった次第です。

日本にいる大学時代の友人が、第三子を妊娠。上の子二人を35週以前に産んで、今回も早産のリスクが高いからということで、どこの産婦人科も受け入れ拒否。私大病院での出産になるかもしれず、その費用が100万円ほどかかるかもしれない、と話していました。

ひぇー。高ぃっ!ヽ(; ゚д゚)ノ 

 

検診とか入院とか細々日独で違うことはあるし、日本で妊婦経験をしたことがないけれども、費用の面だけを取ると、ドイツで妊婦になって良かった、とつくづく思うのでした。

 

Mutterpass 母子手帳