ドイツからこんにちは。

ドイツの日常で見たこと、聞いたこと、思ったことを気ままに

ドイツで結婚

いやあ、大分放置してしまいました。

この間色々あって、記事にしようと下書きはためつつ、結局投稿することなく月日が流れていってしまいました。

 

最近あった中での一番の出来事は、ドイツで結婚したこと。

一人での自由な生活を謳歌していたので、誰かと暮らしたり一緒になったりするなんて自由を束縛するようなことはしないと思っていました。

そんな私の心境に変化をもたらしたのが、コロナ禍。

私はフットワークが軽いので、会いたくなったら友達にはいつでもどこでも会いに行っていました。

それがロックダウンで一変。仕事以外では隣町にさえ行けなくなってしまいました。
オンラインイベントが増えてオンラインで誰かと会ったり、ビデオ通話で友達と話しをしたりすることはできても、リアルで会える人といえば、職場の同僚かスーパーの店員さんくらい。

当時住んでいた田舎町には、プライベートで会うような友達はいませんでした。

さすがの私でも、「あー、週末にお茶できる友達が同じ町に欲しいなあ」と近くに誰かがいる必要性を痛烈に感じるようになってきました。

そんな、2回目のロックダウン開始が差し迫った頃、夫となる彼に出会いました。色々な奇遇が重なって、運が良かったとしか言いようがありません。

去年、キャリアチェンジを決めて転職、引越しをすることになった私に付いて来てくれてから、一緒に住んでいるので、結婚しても何も変わらないだろうと思っていました。

確かに生活自体は変わらないのですが、何だか幸せが増した気がします。

 

それに、結婚式にはなんの夢も持っていなかったので、婚姻成立に必須の役場での式を挙げて、身内だけのささやかな食事会ができれば十分、くらいに考えていました。

それが式を挙げてみて、結婚式ってこんなに良いものなんだと知りました。

何だか恥ずかしいくらいに涙もろかったです。

そもそも結婚式前日には、涙腺が弱くなっていました。結婚報告した時に、式には参列できないと言っていた両親が参列してくれることになって、結婚式前日に日本から携えてきたたくさんのお土産とお祝いをくれた時には、すでに感涙していました。

準備期間が短かったこともあり、私の友人夫婦1組以外、友人を招待できていなかったのですが、彼の高校時代の友人らが、平日の午前中にも関わらず、仕事の都合をつけて役場までお祝いにかけつけてくれた時は、とても感動しました。役所の出口で、その友人らがシャボン玉を吹いて祝ってくれた様子は、とても可愛らしく、とても綺麗で、とても嬉しかったです。

食事会会場まで歩いて移動する間、道行く人たちが、「おめでとう」とか「とても綺麗」とかって声をかけてお祝いしてくれたのは、サプライズな嬉しさと感動がありました。

食事会のレストランは、フランケン地方と日本のフュージョン料理を提供するお店。フランケン地方出身の彼と、日本人の私の結婚式をお祝いするのにぴったりだと、夜営業のお店を特別に私たちのために昼間開けてもらって、お祝い。

新郎からのスピーチはドイツ語と日本語で、父からのスピーチはドイツ語で。彼も日本語のスピーチの練習を結構していたけど、父もかなり練習していたそうで。スピーチをお願いしてから、正しいイントネーションと発音でこなせるように、時間を見つけてはドイツ語のスピーチの練習をしていたそう。その甲斐あって、新婦父のドイツ語スピーチは参列者皆んなが絶賛してくれました。見事なスピーチをこなす父を見て、誇らしい気持ちになりました。

ウェディングケーキは、彼の実家で。わざわざこの日のためにシルクハット帽を買った彼は、ケーキカットの時にそれを被って、ちょっとした小笑を生んでいました。

終始和やかで、幸せでした。

皆んなにお祝いしてもらうって、こんなに嬉しいものなんだということを初めて知りました。

 

5月中旬に婚約して、9月8日に役場で結婚式。

結婚指輪購入、式に来ていく服装一式購入、髪の毛と化粧をするスタイリスト手配、両親のドイツ滞在旅行手配、同行する私達の旅行手配(実質新婚旅行)の他、

日本からの書類集め、カメラマン、ブーケ、ウェディングケーキ、お花(レストランのテーブルデコレーション、ウェディングケーキの飾り)、レストラン、ゲスト用ネームカード等、もろもろの手配をこんなに短期間で素晴らしく完了できたのは、彼のお母さん、妹さん、それに父の協力があったからです。

本当にありがとう。

 

イメージ図