ドイツからこんにちは。

ドイツの日常で見たこと、聞いたこと、思ったことを気ままに

2021年の振り返り 〜仕事編〜

なんだかんだと日々を過ごしていたら、10月に1記事投稿してから、あっという間に5ヶ月が経ってしまいました。

転職後、初めてまとまった休みが取れて時間ができたので、2021年を振り返ってみることにしました。

備忘録がてら羅列していくので、暇つぶしがてら眺めていってください。

 

<2021年>

  • 仕事
    • 4月末に異業種未経験で転職先が決まる。週明けに速攻辞表を提出して5月末で退職6月からITコンサルティング会社でディベロッパーとして勤務。6月末に引っ越しするまで完全リモートで働く。(4〜6月)
    • 最初に与えられた任務はSAPの仕事。SAP社員とSAP契約社員のアイデンティティ管理を担当するIT IAM/IDM(Identity and Access Management)のプロジェクト。といっても、私が来た頃には主だったプロジェクトは終わっていたのと、SAPの世界が複雑すぎたのと、Web開発のみを学んでIT業界に飛び込んだ私には未知すぎることばかりだったのとで、大したことはできず(6〜9月)
    • そうこうするうちにSAPのIAM組織再編があり、10月からクロスファンクショナルチーム(部署間コミュニケーション向上を狙った横断チーム)に組み込まれる。これまでIAM/IDM関連の仕事だけだったのが、IAG(アイデンティティ・アクセスガバナンス)関連の仕事も加わることになった。プロダクトオーナーが、GRC(ガバナンス・リスク・コンプライアンス)、IAG畑だったこともあり、ほぼもっぱらIAGの仕事をこなすようになる。この組織再編により、私とドイツ人の同僚以外、IAMは全てインド人の領域となる(10〜12月)
    • 10月にチーム替えのあった矢先、上司から、「SAPのベンダー(外注会社)整理で、IAMプロジェクトからうちの会社は年内いっぱいで外されることになった」旨を知らされる。次に何をしたいか希望を聞かれ、もっとコーディングできる仕事がしたいと伝える。入社してからの仕事は、Integration Developerのような仕事で、コーディングをする機会はほとんどなく、ずっと違和感を抱えていて、「面白くないなあ」と思っていたのだった。年明けから担当する次のプロジェクトが決まり、ABAP(SAP独自の言語)を年内中に学ぶことになった(11月)
    • 12月初め、6ヶ月の試用期間を無事乗り切る。担当したプロジェクトがなかなかつかめず、試用期間内で首を切られると思っていたので、喜びもひとしお。ただ私が担当していたプロジェクト、上司の目から見てもおもしろくない(魅力的じゃない)ものだったようで、「よく辞めなかったね」と言われた。「あ、そうなのね。面白くなくてずっと苦しんでたけど、あなたの目から見ても、面白くなかったのね」と、上司の言葉に納得。私と同じ学校でWeb開発を学んで、1年ほど前から働いていた同僚は、別の会社へ転職した。ほぼ同じ時期に入社した別の同僚は、試用期間の終了を待たずに他の会社への転職を決めた。彼女達の担当した任務は私とは違うものだったけど、私の上司は、私も同じように辞めると思っていたようだった。よく耐えたよ、私。
    • 12月は2週間のクリスマス休暇を取るつもりだった。が、プロダクオーナー(同じSAP内のチームで働いているが別の外注会社社員)が、「チームの誰か一人は対応可能な状態にないといけない」と言い、IAMのトップ(SAP社員)もそれに同調したため、休暇申請に出遅れた私は年末休暇を取れない羽目に陥る。せめてクリスマスイブと大晦日だけは休みが欲しいと主張して、2日間の休みは死守。会社の上司からは、「IAMの仕事に対して、SAPからはもうお金が支払われないので、善意で勤務するのはいいけど、IAMの仕事は極力しないで良い」と言われていた。なので、年末は、ほぼ次のプロジェクトの準備、ABAPの学習に時間を割いて過ごした(12月)
    • SAPは会社名が既に略語なだけに、SAP社内用語は略語だらけ。この略語集団に加えて、複雑な製品群・コンセプトが関わってくるので、SAPのデベロッパーとして働く場合、プログラミングやIT関連の知識だけでなく、SAPのビジネス知識も要る、ということを、半年以上かけて知った。ほんとうにわけわからんヽ(゜Q。)ノ?

社員旅行でキャンプ場

新しい仕事が決まってから、退職、退去、家探し、引っ越し、入居、新しい会社、となかなかに環境の変化が大きかったです。

その変化の波にくらいつくのに精一杯で、だいぶブログを放置してしまいました。

が、定期購読者は親くらいなので、問題ないでしょう。

 

退職、退去、家探し、引っ越し、入居、新しい会社。

日本とは異なる点が多く、共有したいこともたくさんありますが、
とりあえず直近経験した社員旅行のことを書いていきます。

 

ドイツでは、プライベートと仕事がきっかり分かれています。
同僚と仕事後に飲みに行くなんて、出張で一緒に出かけた時以外、ほぼありません。
ドイツに来てから最初に働いた会社では、単身ドイツに渡って知り合いがいないであろうことを同情したルーマニア人の同僚が家に招待してくれたりビール祭りに誘ってくれたりしたことがありましたが、そういう機会を除いて、勤務時間外に同僚と何かをすることはありませんでした。

日本では、こういう仕事とプライベートきっちり分ける”欧米式”がクールでお洒落、今時と見る傾向があるようですが、実はこっちでは逆です。

会社イベントがたくさんあって、同僚と勤務時間以外でも何かをする機会を提供している。それを通じてチームビルディングをはかれる。そういう会社が今時と捉えられていて、会社のアピールポイントになっていたりします。

 

私が6月から働き始めた会社は、そうしたドイツの公私をはっきり分ける文化を残念に思った二人のドイツ人が、毎日働きにくるのが楽しくなるような会社にしたい、という信念で18年前に設立した会社なので、社内イベントや社内コミュニケーションがとても重視されています。その社内イベントの中でも、特に夏の社員旅行とクリスマスパーティーにはかなり力が入れられています。

ドイツではコロナワクチン接種者、回復者もしくはテスト結果陰性保持者には大分制限が免除されるようになったこともあり、7月には一晩船貸し切りでライン川クルーズ、9月にはキャンプ場で2泊3日の社員旅行が実施されました。

このキャンプ場は、2年前にも社員旅行で使った所ですが、コロナ禍ということを考慮して今年の旅行先に選ばれたということでした。

 

旅行先は社長が決定。企画、運営は総務が担当。

ただ食事の用意、掃除、チームビルディングのイベント等に業者が使われていて、参加者や運営側が、雑事に囚われずにイベントそのものを楽しめるように企画されていたのは、うまいやり方だなと感心しました。

 

宿泊場所は、テント泊(テント各自持参。各自設置)、グループテント泊(キャンプ場据付。中に簡易折り畳みベッドが並べられているが、テントの密封性が良くないので夜寒い)、Bauwagen泊(バウヴァーゲン。改造した車両の中にダブルベッドが設置。7−8名宿泊可)、管理棟泊(キャンプ場管理棟の大部屋に簡易折り畳みベッドが並べられている)のオプションから各自選ぶ方式。私は現地に行ってからBauwagen泊に変えましたが、快適でした。

ほとんどの参加者がテント泊を選択し、各自テントを持参していたのは、さすがドイツ人だ、と思いました。

仮に日本でキャンプ場で社員旅行を実施したとして、テントを持参できる人の割合はそこまで高くないように思うのですが、どうでしょう。

 

食事はなかなか良かったです。

1日目の晩はケイタリングサービスで準備された夕食が提供されました。キャンプ場で美味しいサーモンを食べられるとは思っていなかったので、満足でした。が、乳製品の取りすぎで腹痛に見舞われ、早々に床につく羽目になりました。残念(;´д` )

2日目の晩は、メキシコ料理のフードトラック1台貸し切りでキャンプ場まで出前出張。ブリトス、タコスよりもサツマイモのフライドポテトが一番美味しかったです。

 

二日目の午前中は自由行動。私はローレライ伝説のある街を観光。

天気に恵まれて、素晴らしい眺めでした。

午後はチームビルディング。ジェンガ、フリスビー等々色々やりました。

私のチームは6チーム中6位。うまくチームが機能しませんでした。残念。

 

最終日は片付けて帰るのみ。

成り行き上、私は最後まで残って後片付けを手伝うことになりましたが、それはそれで楽しかったです。

 

そんな訳で、ドイツで初めて経験した社員旅行。

同僚がアフタービデオにまとめてくれたので、興味があれば見てみてください。

なかなか良いビデオに仕上がっています。内輪褒めですが。

 

youtu.be

 

 

 

 

 

 

外国人女、30後半、異業種未経験でディベロッパー

プログラミングスクールの広告によく出てきそうな文句ですね。

「未経験からプログラマー」

「3ヶ月前まではウェイターをしていました」

とか、何とかそういう感じの文言。

 

のせられました。

いや、正確に言うと、

知り合いで、未経験にも関わらずIBMのソフトウェアデベロッパーになった人がいたことに衝撃と刺激を受けました。

 

この話を聞いた時に思いました。

私もデベロッパーになろう、と。

 

プログラミング自体に興味を持ったのは3年前。

Excel VBAを触ったことがきっかけでした。

ほんの2、3行コードを書くだけで、こんなに業務が楽になるなんて!

という驚きがプログラミングの面白さになりました。

それからもっといろんなことができるようにとPythonの独習を試みました。

が、挫折。

動的型付けに馴染めませんでした。

 

それからは、業務でたまにVBAをいじる程度で、

プログラミングを本業にしようなんて考えすらしませんでした。

 

それが、未経験でも異業種でも外国人でも女性でも20代じゃなくても、

大手企業にディベロッパーとして転身を遂げられる可能性があることを知ってしまい、

悩み、決意しました。

私も挑戦してみよう、と。

 

大幅なキャリアチェンジに踏み切ろうと考えた理由は、色々あります。

  • これまではものづくりに関わりたいという思いから、
    希望して製造業で働いてきたものの、
    これ以上製造業で興味を持って働くことができないと思ったこと。
    (ー> ものづくりが楽しいと思えたのは、改善の文化があったから。
    それが、ドイツに来てからは、ほとんど感じられなくなった。
    製造業で何か大きな変化を起こすには、投資のためのお金、時間、議論が必要で直ぐには起きなかった
  • 現在の職務でキャリアを伸ばしていきたいという意欲が湧いてこなかったこと。
    (ー> この先ずっと品質畑で働きたいとは思えなかった)
  • 見知った業界、職務に居続けた場合、今後飛躍的な自己成長は望めないと思ったこと。
    (ー> 品質だけでなく、製造、開発等、いろんな部署を経験してきたので、
    その方面に関することであれば、ある程度の経験や知識を培ってきた。
    今後はこの蓄えを使えばそこまで努力をしなくても、ある程度業務をこなせてきてしまうだろうことを悟ってしまった)
  • 製造業の変化の遅さ、自分のキャリアの停滞感とは対照的に、IT業界は日進月歩のスピードで変化している。その変化についていくため、IT業界で働く人たちは、常に勉強している。自分も、その技術の発展を消費者として傍観するのではなく、わずかでも貢献できる立場になって貢献していきたい。自分が作ったモノで誰かの生活をちょっとでも便利にして、役に立ちたい。
    日々勉強して、自己成長させていきたい。
    日々勉強しているような活気に溢れた人達のいる環境に身を置きたい。
  • 場所に捉われずにできる仕事に就きたい
  • 副業を取りやすいスキルの身に付く仕事をしたい

 

こんな訳で、

昨年コロナ禍でロックダウンが導入される直前に、プログラミングスクールに申し込みました。

スクールに通うことにしたのは、

独習ではまた挫折の可能性があること、

異業種未経験、もう若くはない身でキャリアチェンジを成功させるには、
スクールで人的ネットワークを作る必要があると思ったからでした。

 

フルタイムで二ヶ月みっちり短期で学ぶコースもありましたが、

私は仕事を続けながらできる六ヶ月のパートタイムコースを受講しました。

 

スクールのことは、「卒業」の記事でも書いているので、かぶりますが、

当初の終了要件は、週3日(火木土)の授業への出席必須。

理由の如何を問わず、3回欠席したら落第、という厳しい条件がついていました。

学校は、自分の住んでいる街から電車で片道3〜4時間かかるところにある首都ベルリン。

直属の上司と社長に相談して、

授業のある日(火木)は2時間早退、その翌日(水金)は始発で帰って1時間遅れで出社、その分長く働いて帰社。
勤務時間の足りない分は、これまでの残業貯金を切り崩し。それでも足りなければ有休消化。という形で半年間過ごすことに、同意してもらいました。

 

それがコロナで一変。

頑なに、授業への在席必須を固持してきた学校が、

ロックダウンが導入されたために、オンライン授業へと切り替わりました。

3月末から開始された授業は5月まで完全にオンライン授業。

6月からは、週末は学校に来ても良い、というハイブリッド形式に。

キャンパス通学が許可されるようになってから、

私は毎週末ベルリンに通学しました。

高額電車乗り放題券を使いたかったからだけではなく、

人的ネットワークを作りたかったからでもありました。

そうして昨年8月に無事卒業。

 

卒業後二ヶ月ほどは、あまり必死になって転職先を探しませんでした。

「卒業生の約96%が半年以内に仕事を見つけています」

という学校のマーケティング文句を鵜呑みにして、

”そんなに売り手市場なら、ちょっとだけ休憩しても大丈夫かな”、

などと思い、緩んでしまったのでした。

アホでした。

フレッシュさが失われる前に、卒業後こそ集中的に転職活動をしなければならなかったのに。

そうして、一番売り手になる卒業後タイミングを逃して、

同窓生達がどんどんディベロッパーになるのを見ては、落ち込んでいきました。

「ああ、自分だけが見つからない。どうしよう。どんどん歳だけ取っていく。」

焦ってきました。

 

「ああ、どうしよう。何をしよう。
あれも、これも、知らないから、あれもこれも勉強しないと。
ああ、でも、どうしよう。手が回らない。時間が足りない。。。」

 

気持ちだけが空回りしました。

 

書類選考は通らない。

仮に通ったとしても、面接で落とされる。
技術課題で通らない。

落ち込みに拍車がかかりました。

どうじよう、やっぱりダメなのかな。

異業種、未経験、高齢、外国人女でディベロッパーになりたいなんて。

考えてみれば、IBMに行ったあの知り合いは、未経験とは言え、元マックスプランクの研究者だった。

あの人はキャリアチェンジしたとは言え、もともとIT業界にいた人だった。

あの人は未経験異業種とは言え、元弁護士で特殊技能を持っている人だった。

あの人は、、あの人は、、、あの人は、、、、

 

失うものは何もない挑戦とは言え、うまくいかない転職活動に、

人と自分を比べては落ち込み、消耗していきました。 

 

そんな中、学校主催の採用イベントに参加。

事前に課せられた技術課題が解けず、

直前まで参加を迷いましたが、ドタキャンするのが嫌だったというそれだけの理由で、

とりあえず履歴書と課題を送って、参加しました。

自分にチャンスはない、と思っていたので、

イベント中、発言する勇気は出ませんでした。

 

”はあ。ダメだったなあ。悲しい(;_;)
採用はダメでも、この課題は完成させたいから、
学校の卒業生で今この会社に働いている方に聞いてみよう”

 

そう気持ちを切り替え、イベント終了後に、卒業生にコンタクト。

自分の疑問点、どこまで分かってて、何が分からなくて課題が解けないのかを、

スライドにまとめて、質問。

その方はちょうど激務の時だったようで、追って回答する旨の返信だけいただきました。

 

その数日後。

課題が解けなかったにも関わらず、何故か書類選考通過の連絡。

面接の招待を受けました。

面接は、技術のシニア職の人と1対1、30分のオンライン面接。

いつもなら英語に逃げる所ですが、この時はダメ元でドイツ語で応えました。

 

「課題どうだった?」の質問に、

「本当は別の方の職種に興味があったんだけど、

学校から自信がなければこっちの課題をやるように勧められたので、こっちの課題に取り組んで、この職種に応募しました。でも、やっていくうちにこっちの方面も面白いと思いました。全部解けませんでしたが(^_^;)」

と、応募した職種がめちゃくちゃ希望していた訳ではなかったことを、
面接早々にばらしてしまいました。

 

ああ、終わった。。。_l ̄l○

 

それから、技術的なこと、現在の仕事、勤務地希望、勤務可能開始日、給与希望、趣味などを聞かれた後で、

「うちの採用ステップは、通常は面接してから技術課題って流れなんだけど、
この学校のイベントの場合逆になったんだよね。

できなかった課題の部分、一緒にやっても良いっていう同僚がいるか聞いてみるよ。

もし興味を示す同僚がいたら、僕かもしくはリクルータから連絡を入れるから。

逆に、何か聞きたいことがあったら、連絡して。」

 

という感じで、面接終了。 

 

はあ。ダメだ。通る要素がない。 

何故か分からないけど、

せっかく頂けた面接のチャンスを自らダメにしてしまった(;´д`)

 

と、自分のダメさに落ち込んだ、二日後。

金曜日のお昼にリクルータから電話が入りました。

「急なんだけど、今日うちの同僚と社長と話す時間取れる?

うちの会社で何ができるかを話してもらったら、オファーを出すから」

と。

 

へ?!(°◇°;)?!

何ですと?? ゚(∀) ゚ ?

オファーを出す???Σ(。Д。lll

 

「何ができるか」って部分は気になったけど、二つ返事で承諾。

金曜日の夕方から話をしました。

話、というか面接でした。

社長はカメラの映らない所に隠れていたので、

面と向かって話をしたのは、私が所属することになるチームのヘッドとリーダーでした。

 

チームヘッドが開口一番、

「水曜日に面接した僕の同僚から、連絡をもらったんだ。
”うちの会社にぴったりな子が一人いた。ただうちの部署にはもう空きがない。
君の所でどうか”と」。

 

Σ(゜Д゜lll)エッ!?

何ですと?!(゚Д゚)?

絶対ダメだと思ってたのに、

あの方、そんな風に繋いでくださっていたなんて(;_;)。

 

「という訳で、当初希望した職種ではなくなるけど、良い?」と、意向確認。

オファーしてもらった職種が、元々興味のある方面だったので、むしろ大歓迎。

職種に関してはこれ以上望めないほど大満足。

それから、多少の技術知識チェックもされました。

とりあえず何かしら返答。

給与、条件は提示されるがまま同意。

 

で、採用

 

へ?

マァァァ━━━(゜Д゜;ノ)ノ━━━ジデェェェ!??

いいんですか?? 

 

ということで、

来月からジュニアディベロッパーとして新たなキャリアを開始します。

 

採用が決まった時。面接終了後は、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。

ワクワクが抑えきれず、奇声をあげながら、家の中を小走りしてしまいました。

それでも気持ちが収まらず、日記を書いて、気持ちを落ち着けました。

こんなに気持ちが湧き立ったのは、いつ以来だろう?

ってくらいに、興奮しました。

 

ただ、採用されたとは言え、これはようやくスタート地点に立てたということ。

これからが、本番。

半年間は試用期間です。

ドイツの試用期間は、形式的なものじゃないので、

「こいつ、使えない」

と思われたら、容赦なく首を切られます。

 

なぜ自分が採用してもらえたのか今でもよく分かりませんが、

とにかく一度頂いたポジション。

半年間の試用期間を生き抜きます。

 

今年も夏時間の季節がやってきた

昨日、冬時間から夏時間に切り替わりました。

冬時間だと日本とドイツの時差は8時間ですが、

夏時間だと時計を1時間進めるので時差は7時間になります。

 

「日の出ている時間を長くして有効に活用する」というメリットよりも、

「体内時計が狂って、体調不良になる」というデメリットが勝ったために、

2021年までに夏時間制を廃止することが支持多数でEU決定されていたのですが、

冬時間と夏時間、どちらを正式な時間とするかが決まらず、

結局今年も例年通り夏時間に変わりました。

 

日本でも一時期、オリンピック準備時期頃でしょうか、

夏時間制導入の議論がありましたが、

EUが廃止を決定したからか、鎮静化したように思います。

欧米の真似をして導入しなくて、良かったと思います。

 

なぜなら、この夏時間。

1時間とは言え、体内時計を強制的に壊すことになるので、

春先に体調不良を感じる人が多いのです。

冬時間の時も同じように、体内時計強制変更を強いられますが、

1時間多く眠れるからか、夏時間への変更時ほど体調不良を訴える人は多くありません。

私は様々な土地によく旅に出ることもあり、多少の時差などものともしない、

柔軟な適応力の持ち主ですが、そんな私でも、

たった1時間の夏時間への変更がこたえます。

体調不良とまではいかないですが、極度の眠気、疲労に襲われます。

そんな訳で、時間変更のあった昨日は終日眠く、

なんとか強い心を持って散歩に出た以外は、ほぼ惰眠を貪って1日を終えることになってしまいました。

春眠暁を覚えず、なら日本にいてもなる、と言われればそれまでですが。

 

去年はコロナ禍で、冬時間、夏時間の議論どころではなかったのでしょうが、

来年こそは夏時間が廃止になることを願っています。

 

 

 

英語に直せないドイツ語特有の表現10選

ドイツ語はゲルマン語派に属しているので、英語と類似する点が多々あります。

ただ言語上、親戚関係にあるとはいえ、全く一緒ではないので、英語に直せないドイツ語特有の表現というものがあります。

 

今日、通訳者泣かせ的なドイツ語特有の表現10選を紹介した記事を見つけて面白かったので、ご紹介します。

 

<参照元記事>

10 German Words & Phrases That Don't Translate Into English

 

1. Das Blaue vom Himmel versprechen(でまかせの約束をする)

英語に直訳すると、to promise the blue from the sky(空からの青色を約束する)、

意味の分かるように訳すと、to over-promise on something completely unrealistic.(全くもって非現実的なことを約束する)

 

天気予報で明日は太陽が出ます、って言ってたのに、曇り空になって裏切られることが多いドイツだからの表現なのでしょうか。

 

2. Kopfkino(頭の中の映像)

英語にそのまま置き換えると、Kopf(コプフ)がhead、Kino(キーノ)がmovieなので、head movie(頭の映画)。

ぼんやりしている時に頭の中に浮かんでいる映像のことを指しています。

これは何となく単語の並びから意味を想像できます。

むしろ英語にはこんな便利な表現がないのか、と英語の方に驚きました。

 

3. doch(はい・いいえ・だが、など多義語)

これ、本当によく使われるドイツ語です。

昔、同僚のドイツ人が「deutsches schönes Doch(ドイツ語の美しいドッホ)」と、このdochを誇らしく評していましたが、会話の中で頻出します。

これ使うと、なんとなくドイツ語慣れしている感じがするので、ドイツ語初心者時代、何とか使おうとしていました。

多義語なので、使い方がいくつもあるのですが、

基本の使い方は、否定疑問文で聞かれて、肯定で返答する時にこのdochを使います。

例えば英語なら、

Don't you like tea? Yes, I like tea. (お茶、好きじゃないの?いや、お茶好きだよ。)

と、肯定する時にyesを使いますが、

ドイツ語の場合、ja(英語のyes)ではなく、ここでdochが使われます。

Magst du keinen Tee? Doch, ich mag Tee. (マークストゥ ドゥ カイネン テー? ドッホ、イヒ マーク テー)

のようになります。

 

dochが好きなドイツ人、

議論中dochを連発している人をたまに見かけます。

 

あと、dochの使い方としては、強調する時にも使われます。
例えば、Komm her(英訳:Come here、和訳:こっち来て)というのを、

Komm doch her!とdochをつけると、

Come on, can you please come here right away?(和訳:今すぐにこっちに来てくれない?)

くらいの強さが添加されます。

 

4. Treppenwitz(遅すぎる思いつき、後知恵)

すごく良い冗談が思い付いた!!!後から階段で。。。

という時にできた表現なのでしょうか。

英語に直訳すると、stairacase joke(階段ジョーク)です。

 

5. Knapp daneben ist auch vorbei

英語に直訳すると、just next to it is also over(すぐ隣でも過ぎている)。

「ほんの直ぐ近くだとしても、過ぎたことには変わらない」という意味です。

「結果が全て」って和訳を当てられている方もいました。

過ぎたるは猶及ばざるが如し、みたいな感じでしょうか。

 

6. Schadenfreude(人の不幸は蜜の味)

英語にそのまま置き換えるとSchaden(シャーデン)がdamage、Freude(フロイデ)がjoyなので、damage joy。

他人の受けたdamage(被害)はjoy(喜び)だ、ってことですね。

ひゃー、怖い。

 

7. gemütlich(居心地の良い、なごやかな、穏やかな)

これもとてもよく使われるドイツ語です。

快適さ、心地よさ、アットホーム感を表現する形容詞です。

人に対しても、空間に対しても、物に対しても使われます。

 

eine gemütliche Wohnung(アインネ ゲミュートリッヘェ ヴォーヌンク。居心地の良い住まい)

ein gemütliches Treffen(アイン ゲミュートリッヘェス トレッフェン。なごやかな集まり)

gemütliche Leute(ゲミュートリッヘェ ロイテ。気立ての良い人たち)

ein gemütliches Tempo(アイン ゲミュートリッヘェス テンポ。ゆったりとしたテンポ)

といった感じで、使用範囲が広いです。

 

8. Ich verstehe nur Bahnhof(私にはさっぱり分からない)

英語に直訳すると、I only understand train station. (駅しか分からない)。

意味の分かるように訳すと、I didn't understand any of that.(私には何も分からない)だそうです。

 

なぜ駅なのか、Ich verstehe nur Bahnhof(イヒ フェアシュテーエ ヌア バーンホーフ)。

 

たまに理由なく、勝手に電車がキャンセルされることがあるからこその表現なのでしょうか。

 

9. Fernweh(異国へのあこがれ)

英語ではWanderlustと訳されることが多いそうですが、実はWanderlustもドイツ語。

ドイツ語を英語に直そうとして、なぜかドイツ語を借用するという面白さ。

語感的に、

Fernweh(フェルンヴェー)は、fern(遠い)とweh(痛い)を合わせた言葉で、遠方へ焦がれる感じがしますが、

Wanderlust(ヴァンダールスト)だと、Wander(徒歩旅行)とLust(気持ち)で、旅行したいという欲求を表している感じがします。

 

ロックダウンで遠出できない今、まさに、Fernwehです。

 

10. Sprachgegefühl(語感)

英語に置き換えると、Sprach(シュプラーッハ)がlanguagegefühl(ゲフュール)がfeelingでlanguage feeling。

言語学習の天性の才能や母国語の文法、語義を素晴らしく習得した状態に対して使います。

 

 自分の勉強にもなるので、他にもドイツ語特有の表現とか面白い言い回しがあったら、また紹介していきます。

今年のドイツは雪がよく降る

ドイツに来てから8回目の冬を迎えました。

 

気象データをきちんと調べた訳ではなく、

完全に個人的な経験に基づいた感覚での話ですが、

今シーズンはよく雪が降っています。

それも、積もるほどの雪が。

 

ドイツでは、寒くなって「今日路面凍るかな?」

と思うか思わないかのタイミングから、

塩を撒く車が街中を走り始めます。

歩道には、塩だけじゃなく、砂利が撒かれたりします。

それくらいスリップ防止、転倒防止策がきちんと取られているので、

雪が降り始めると、すぐに除雪車が出動します。

除雪車には、高速や州道のように大きな道路担当のごついものから、

路地や歩道のように狭い通り担当の小型のものなど、いくつか種類があります。

除雪車は、路面に雪が積もらないように夜中でもずっと巡回してくれています。

車道の除雪なら日本でもやっていると思われるかもしれませんが、

ドイツの凄いのはむしろ歩道の除雪。

除雪車による歩道の除雪が追いつかないような時は、

家の持ち主が責任を持って雪かきをします。

ドイツでは、家の前の道路で通行人が滑って怪我をしたら、

賠償責任はその家の持ち主にいく、という法律があるんです。

厳しいです。

そういう訳で、大抵ドイツの道路は、雪が降っても、

車や人が通る道は、雪が綺麗に除去された状態で確保されているので、

除雪が追いついていない状態の道路を走らなければならない時というのは、

あまりありません。

その除雪の追いついていない状態が、今年は先週、今週と既に2回発生しました。

個人的感覚では、珍しいです。

 

不幸中の幸いというか、怪我の巧妙というか、

私は先週、そうなる前日に会社の駐車場で事故って車を壊してしまったので、

それくらいの降雪に見舞われた状態で車を運転していません。

事故当日は相当凹みましたが、翌日上司に送迎してもらいながら、

「昨日事故ってなかったら、今日事故ってたわ」

としみじみ感じていました。

禍福は糾える縄の如しっていうのはこういうことを言うのかな、

なんて、ぬくぬくとした助手席に座りつつ呑気に実感していました。

 

先週は日本の北陸地方でも何十年ぶりくらいの大雪に見舞われたし、

同じ頃、スペインのマドリードでも非常な積雪に見舞われたし、

今年は世界的に雪の当たり年なのかもしれません。

 

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通勤途中の山道

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朝の降雪



 

ロックダウンは、厳しくなってまだまだ続くよ

新年明けました。

年末恒例の打ち上げ花火は禁止されていましたが、それでもちらほら聞こえてきました。

 

1月10日までだったロックダウンは、減らない新規感染者数、死者数のため、

1月末まで延長になりました。

それも、厳しくなって。

 

接触制限として、会うことが許されるのは、

別の1世帯1人まで(バイエルン州は、それにプラス3歳までの子供はOK)。

移動制限として、居住自治体が感染リスク高地域になると、

15km以上離れた場所への移動が禁止されます。

私の住む街と会社のある街はどちらも感染リスク高地域になっている上、

州をまたいで通勤することになるので、

会社からは勤務証明書を発行してもらいました。

仕事が正当な理由として認められていて、証明書を持っているとは言え、

これからしばらくは、いつ警察に呼び止められるかハラハラしながら通勤することになりそうです。

 

ところで、この移動制限のポイントとなる感染リスク高地域。

定義は、過去7日間の10万人あたりの新規感染者数が200を超えた地域、となっています。

この数、

過去7日間の10万人あたりの新規感染者数平均

じゃなくて

過去7日間の10万人あたりの新規感染者数合計

なんですね。

年末、ホットスポットだった地域が、

翌日には大丈夫なレベル(政府目標の50以下)に変わっていたり、

そうかと思ったら、その次の日にはまたリスク高に変わっていたり、

と、平均だとしたら、計算が合わない地域があることを発見しました。

そしてよくよく数字を見直して、

自分が定義を捉え違えていたことに気がつきました。

でも、どうなんでしょう。

他の人は皆さん、この数字が合計だっていうこと、ご存知なのでしょうか。

 

私の会社で、

「誰に聞いても、周りでコロナにかかった人を知っているという人に出会ったことがない。

だから、政府が発表しているコロナウイルスっていうのは本当なのか、よく分からなくなってきた」

と、陰謀論を信じ始めている同僚がいますが、

それもそのはず。

感染者数を人口辺りの割合にすると、

感染者数が凄く増えた、という日でも1000分の1ないし1万分の1くらいにしかならないんですね。

これだと、感染マップを見て、周り中汚染だらけな感じを受けるのに、

自分の身近で感染したという人を知らないという状態になっても、納得です。

 

まあ、数字、統計上の話はそれとして。

何で、感染者数が減らないんでしょう。

 

私は、毎年季節の変わり目に風邪を引くのですが、

昨年は一度も風邪を引かず、

むしろ例年よりコロナ年の方が健康で元気でした。

私の周りでも、「そう言えば、去年は風邪を引かなかった」という人が多数いるので、

政府の指示通りのコロナ対策(マスク着用、手洗いうがい、社会的距離、換気など)を守っていれば、効果は出ると個人的には実感を持って感じています。

それもコロナだけじゃなく、他の細菌やウイルス性の風邪や病気に対しても有効だと思っています。

 

ということで、

今政府から発表されている指示を信じて、

私は引き続き、通勤以外、巣ごもり状態を続けます。

 

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1月11日0時時点のドイツの感染マップ。過去7日間10万人辺りの感染者数ごとに、色分け、赤色が濃くなる毎にリスク高となりますが、ドス黒赤でも分類が足りず、ピンクが、超ホットスポット帯として加わりました。

 

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11月2日からドイツ全土で部分的ロックダウン開始。バイエルン州は全土に先駆けて12月9日から、ドイツ全土では12月16日からフルロックダウン開始。にも関わらず、新規感染者数、死者数増加は収まりません。