ドイツからこんにちは。

ドイツの日常で見たこと、聞いたこと、思ったことを気ままに

キッチンの購入

日本にいたら経験しなかったであろうこと、キッチンの購入。

10月に引越ししてから、ドイツに来て初めてキッチンを購入しました。

 

日本の賃貸アパートには、キッチンは初めから備え付けられているし、

持ち家だとしても、自分で家を建てない限りキッチンを買うことなんてないと思います。

それが、ドイツ。

賃貸アパートでも、キッチンのついていない場合があります。

ドイツに来るまではキッチンっていうのは、風呂、トイレのように、賃貸アパートならついていて当然のユーティリティーくらいに捉えていたんですが、ドイツでは違います。

私の超ざっくりした感覚で言うと、キッチンのついている物件とついていない物件、半々くらいな感じです。

キッチンがついていたとしても、前の住人から有料で買い取らないと、前の住人とともにキッチンも引越しされてしまう場合があります。別の言い方をすれば、キッチンが気に入らない、もしくは自分ももう持っているからいらないと買取を拒否した場合、前の住人はキッチンとともに引越ししなければなりません。

キッチンがついていない家の場合、キッチン設置場所に、上水、下水の穴があるだけで、見事に何もありません。

 

今回私達が引越しした家に、キッチンはついていました。が、ボロい。

作業台の表面が剥がれて、中の木が見えていたり、収納棚はきちんとしまらなかったり、オーブン庫内の空気を対流させようとすると異音がしたり。。。

作業台の剥がれたキッチンなんて、初めてみました。

作業台の表面の剥がれ。

剥がれは1箇所だけじゃなかった。

初めは作業台だけ変えようと考えていたのですが、作業台の購入、見積もり依頼、工賃で500EUR(1EUR=140JPYとして7万円)くらいはしそうだということが判明。

IKEAで安いキッチンを見ると、セットのキッチン(換気扇、コンロ、オーブン付き)が工賃別で883EUR(13万円弱)ほど。

最初に購入を検討したセットのIKEAキッチン。

自分達が引っ越すことになった場合、作業台の費用や工賃を次の店子に売ることはできないけど、新しいキッチンを購入すれば、売ることはできる。

それになにより、作業台以外にもぼろがきてる。

ということで、思い切ってキッチンを買うことにしました。

 

安いし特に何も考えずにすぐに発注できるから、セットのキッチンを発注しようと思ったのですが、シンクに水切り場所は欲しいよね、ということで、カスタマイズが必要。

 

IKEAのキッチンプランナーの予約を取って、カスタマイズして、見積もりをもらって、ようやく発注。ここまでで1ヶ月半はかかりました。当初予定より大分高くつきましたが、満足。

古いキッチンの撤去、新しいキッチンの組み立てなんてことは、大工仕事の苦手な私たちには到底無理なので、業者に依頼。

幸い年内に据付予約が取れて、先々週、業者2名が1日かけて綺麗にキッチンを据え付けてくれました。

工賃だけで1000EUR(約14万円)かかったけど、自分達では時間をかけてもこんなにきちんと綺麗にキッチンを設置することはできなかったので、有効なお金の使い方をしたと二人とも満足。

 

キッチンが新調されて、家の住みやすさが格段にアップ。

台車で引越し

ドイツに来てから、日本にいたら絶対自分ではやらなかったであろうことも、

自分でこなすようになりました。

その中の一つが、引越し。

日本で引越しした時、荷物の搬入搬出には、引越し業社を使っていました。

日本にいる時は引っ越し業社を使うのが「当たり前」だと思っていました。

 

それがドイツ。

倹約家(ケチ)な国民性からか、DIY精神からか、自分達で引越しを済ませてしまうことが「普通」だったりします。引越し業社を使うとなんせ高い。

私はドイツに来てから4回引越しをしましたが、そのうち業社を使ったのは2回。いずれも会社が引っ越し業社の費用を負担してくれた時のみ。

昨年300km(車で3.5-4時間ほど)離れた街に引越しした時も、自分達で引越しを済ませました。

荷物の搬出は、電車で2時間かけて手伝いに来てくれた彼のお母さんと彼(当時)と3人で。レンタルした3.5トンのバンは彼が運転。荷物の搬入には、新しい職場の同僚が手伝ってくれて1日で引越しを済ませました。手伝ってくれた同僚はこれまで10回ほど引越ししたことがあるけど、全て自力で済ませたと言っていました。それだからか、洗濯機の搬入も難なくこなしてくれました。

 

そんな訳で、自力引越しをこれまで2回経験していましたが、結婚式後に引越しした時は、バンを借りず、車も使わず、台車だけで済ませました。新居が同じ通りで、110mしか離れていないという近距離だったのです。台車のみ自力引越しというのは、今回初めての経験でした。

台車はこんな感じのを1台使いました。あとIKEAの台車も1台あったので補助的に使いました。

イメージ図。こんな感じの台車を使いました。

旧アパートは1階(日本の2階)でエレベータ有り、新居は2階(日本の3階)でエレベータなし。

今回も夫のお母さんが、車で3時間ほどかけてはるばる手伝いに来てくれたので、段ボール類の搬入搬出は3人でなんとかなるとはいえ、さすがに洗濯機、ベッド、ソファ、洋服ダンスといった大物を運ぶのは自分達だけでは厳しい、ということで2名2時間、引越しの手伝い(ウムツークスヘルファーUmzugshelfer)を雇いました。

 

新居は昔建てられたアルトバウヴォーヌンク(1949年以前に建てられたアパート。Altbauwohnung)ということと、前の住人があまり掃除していなかったこともあり、汚かったです。

荷物搬入前に掃除したとはいえ、細かな所まで手が行き届きませんでした。そこを義母が徹底的に磨き上げてくれました。このプロ並の掃除力、非常に助かりました。心底感謝。

 

そうして、義母や引越し手伝い人といった人たちの力を借りて、

何とか荷物の搬入搬出、部屋の粗方の片付けを約1週間かけて終了させることができました。

引越し前は本当に車使わずにいけるのかな、台車1台だけで足りるのかな?と心配でしたが、いけました。ドイツでの引っ越しに台車のみ引越しという経験値が新たに加わりました。

 

キッチンには諸々不備があるし、バスルームは旧居よりも狭くなって超ミニだし、窓とか暖房とかにも不備はあるけど、とりあえず街中で旧居よりも少し大きい家に住めるようになって、良かったです。

名字変更

結婚式後もばたばたと慌ただしく過ごしていたら、あっという間に12月半ば。

結婚式の後は、両親のドイツ観光に同行。これが実質的な新婚旅行。

その後、結婚に伴う手続き関係でばたばた。

 

ドイツで結婚しても、日本の領事館に婚姻届を提出しないと日本では独身のままです。なので、届出を出さないといけません。

名字に関しては、日本人同士が結婚した場合、日本の法律では現在はどちらかが必ず名字を変えなくてはいけないことになっていますが、日本人が外国人と結婚した場合、何もしなければ夫婦別姓。届出を出してようやく、戸籍の名字を変えることができます。

国際結婚した人たちに聞くと、ドイツでは夫の姓、戸籍名は日本の姓で通しているというパターンを結構聞きますが、私はパスポート(身分証明書として使う)と、ドイツで名乗る名字が違っていると面倒そうなので、戸籍の名字も変えることにしました。この変更届、結婚した日から6ヶ月を過ぎると日本の家庭裁判所での手続きが必要になるというので、早めに届けを済ませた方が賢明。

 

ということで、結婚、旅行後の残りの休みは、領事館への届出に必要な書類集め。

相手の認証付きパスポートコピーが必要だというので、すぐに予約の取れた市役所まで、少し離れていたものの認証を取りにお出かけ。

家に帰ってから、和訳文を準備していてはたと認証の誤りに気づく。

認証がなぜ必要なのかと役所担当者に聞かれた時、「日本の領事館」に送るのに必要と回答。

それをその担当者、何をどう聞き間違えたのか、認証は「イランの領事館」に向けて作成、と記載。

ハァ… ε= (´Д`●)

ドイツ語で「日本の領事館」はヤパーニシェスコンズラート、「イランの領事館」はイラーニシェスコンズラート。

私の顔、どこをどうみても、東アジア人の顔。中国、韓国人と間違えられることはあっても、中近東の顔ではない。

何をどう間違えたヽ(`Д´#)ノ

またあの遠い市役所まででかけなくちゃいけない (´Д`)

 

ということで、翌日出直し。悲しいことに、大雨。

私の非ではない間違えの訂正のために電車代をかけるのも何か嫌だったので、大雨の中自転車でお出かけ。

ずぶ濡れになって到着。

訂正はものの1、2分で終了。

またしてもずぶ濡れになって、帰宅。

疲れた。

 

そうして、ようやく書類を揃えて日本の領事館に届出発送。

受領連絡がなかったので、問い合わせた所、領事館に無事受領されたとのこと。

新しい氏の戸籍が作成されるまで7−8週間かかるが、完成しても連絡はないので、新しい氏の戸籍ができたかどうかは直接戸籍役場に確認するしかないとのこと。

なんと。

ということは、両親にお願いするか、日本に帰国した時に戸籍を取りにいくしかないのか。

ということで、パスポートはまだ旧姓のまま。

 

銀行とか保険とかこちらでの名字変更は、大概婚姻証明書の提示で済んだけど、

メインバンク1行と、クレジットカード会社1社が、新しい姓に変更された身分証明書も提出しろと要求しているので、この二つは変更未完了。

日本にまだ残している銀行も、旧姓のまま。

名字の完全変更まで、道のりは長し。

 

名字変更って手間もお金もかかるし、本当に面倒。

ドイツで結婚

いやあ、大分放置してしまいました。

この間色々あって、記事にしようと下書きはためつつ、結局投稿することなく月日が流れていってしまいました。

 

最近あった中での一番の出来事は、ドイツで結婚したこと。

一人での自由な生活を謳歌していたので、誰かと暮らしたり一緒になったりするなんて自由を束縛するようなことはしないと思っていました。

そんな私の心境に変化をもたらしたのが、コロナ禍。

私はフットワークが軽いので、会いたくなったら友達にはいつでもどこでも会いに行っていました。

それがロックダウンで一変。仕事以外では隣町にさえ行けなくなってしまいました。
オンラインイベントが増えてオンラインで誰かと会ったり、ビデオ通話で友達と話しをしたりすることはできても、リアルで会える人といえば、職場の同僚かスーパーの店員さんくらい。

当時住んでいた田舎町には、プライベートで会うような友達はいませんでした。

さすがの私でも、「あー、週末にお茶できる友達が同じ町に欲しいなあ」と近くに誰かがいる必要性を痛烈に感じるようになってきました。

そんな、2回目のロックダウン開始が差し迫った頃、夫となる彼に出会いました。色々な奇遇が重なって、運が良かったとしか言いようがありません。

去年、キャリアチェンジを決めて転職、引越しをすることになった私に付いて来てくれてから、一緒に住んでいるので、結婚しても何も変わらないだろうと思っていました。

確かに生活自体は変わらないのですが、何だか幸せが増した気がします。

 

それに、結婚式にはなんの夢も持っていなかったので、婚姻成立に必須の役場での式を挙げて、身内だけのささやかな食事会ができれば十分、くらいに考えていました。

それが式を挙げてみて、結婚式ってこんなに良いものなんだと知りました。

何だか恥ずかしいくらいに涙もろかったです。

そもそも結婚式前日には、涙腺が弱くなっていました。結婚報告した時に、式には参列できないと言っていた両親が参列してくれることになって、結婚式前日に日本から携えてきたたくさんのお土産とお祝いをくれた時には、すでに感涙していました。

準備期間が短かったこともあり、私の友人夫婦1組以外、友人を招待できていなかったのですが、彼の高校時代の友人らが、平日の午前中にも関わらず、仕事の都合をつけて役場までお祝いにかけつけてくれた時は、とても感動しました。役所の出口で、その友人らがシャボン玉を吹いて祝ってくれた様子は、とても可愛らしく、とても綺麗で、とても嬉しかったです。

食事会会場まで歩いて移動する間、道行く人たちが、「おめでとう」とか「とても綺麗」とかって声をかけてお祝いしてくれたのは、サプライズな嬉しさと感動がありました。

食事会のレストランは、フランケン地方と日本のフュージョン料理を提供するお店。フランケン地方出身の彼と、日本人の私の結婚式をお祝いするのにぴったりだと、夜営業のお店を特別に私たちのために昼間開けてもらって、お祝い。

新郎からのスピーチはドイツ語と日本語で、父からのスピーチはドイツ語で。彼も日本語のスピーチの練習を結構していたけど、父もかなり練習していたそうで。スピーチをお願いしてから、正しいイントネーションと発音でこなせるように、時間を見つけてはドイツ語のスピーチの練習をしていたそう。その甲斐あって、新婦父のドイツ語スピーチは参列者皆んなが絶賛してくれました。見事なスピーチをこなす父を見て、誇らしい気持ちになりました。

ウェディングケーキは、彼の実家で。わざわざこの日のためにシルクハット帽を買った彼は、ケーキカットの時にそれを被って、ちょっとした小笑を生んでいました。

終始和やかで、幸せでした。

皆んなにお祝いしてもらうって、こんなに嬉しいものなんだということを初めて知りました。

 

5月中旬に婚約して、9月8日に役場で結婚式。

結婚指輪購入、式に来ていく服装一式購入、髪の毛と化粧をするスタイリスト手配、両親のドイツ滞在旅行手配、同行する私達の旅行手配(実質新婚旅行)の他、

日本からの書類集め、カメラマン、ブーケ、ウェディングケーキ、お花(レストランのテーブルデコレーション、ウェディングケーキの飾り)、レストラン、ゲスト用ネームカード等、もろもろの手配をこんなに短期間で素晴らしく完了できたのは、彼のお母さん、妹さん、それに父の協力があったからです。

本当にありがとう。

 

イメージ図

 

3月のクリスマス会

2022年の第一四半期を終えてから、ようやく2021年の振り返りを終えた所ですが、

昨年から持ち越したもので、ようやく先月終えたものがありました。

クリスマス会」です。

 

本来は12月10日に予定されていたクリスマス会でしたが、怒涛の勢いで広まったオミクロン波のため、1月に延期。

それから収まるどころか、感染の勢いは増すばかり。

このため2月に再延期。

「さすがに2月までには落ち着いているんじゃないかな」という観測は見事に外れ、3月に再再延期。

この再再延期、社内のチャットに動画がアップされて、知らない男の人が告知してくれました。なんか皆んな盛り上がってるなあ、と思ったら、この”知らない男の人”は私が知らないだけで、ドイツで有名な俳優さんでした。ラルフ・リヒター(Ralf Richter)という方です。

すごいな、どこで人脈繋がっていたんだろう。

 

3月に入ってもまだコロナ渦収まらないけど、どうするのかなと思ったら、

全国的にコロナ対策措置が緩和されたこともあって、開催されました。

3月末にクリスマス会っていうのも、さすがに時期外れも良い所なので、副題がついていました。その名も「Spring breac」。

会社の略称がacなので、breakのakを文字っています。

 

会の中で、一年の振り返りビデオが流されたのですが、最後に「メリークリスマス」と映し出されて、笑いを誘っていました。

 

会は貸切のレストランで開催されて、100-150人ほど集まっていたように思います。食事は自分で食べたい物を食べたい分だけキッチンまで取りにいくセルフサービススタイル。どれもとても美味しかったです。

ここ2年ほど、屋内にこれだけの人がマスクをせずに集まる会に参加することはなかったので、少しハラハラしました。このパーティーの数日後にコロナに感染して病欠を取った同僚がいたので、やはりリスクはありました。

 

無事でよかった〜 ε-(´ー`*) 

 

イタリア人の同僚も認める美味しさだった前菜のパスタの写真を撮り忘れましたが、

頂いたお料理の写真を載せます。かなり無理した日本語訳をつけましたので、ご参考まで。

 

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前菜:ヒラマサのバターミルク・ヴィネグレットソース、かんきつジェルと漬け大根添え。 Hiramasa Kingfish mit Buttermilchvinaigrette, Yitrusgel und eingelegtem Rettich。大根の酸味がもう少し柔らかければ良かった気はしますが、お魚は美味しかったです。

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主菜:白身魚(ストーンバス?オオニベ?日本名不明)のフレグラ・サルダ、カスレ、焼きアーティチョークのホワイトバター添え。Adlerfisch kross gebraten mit Fregola Sarda, Bohnecassoulet und mit auf dem Big Green Egg gegrillten Artitschocken und Beurre Blanc。和名不詳ですが、この白身魚、お魚自体の味が濃かったです。この味の濃さが合わないという同僚は結構いましたが、私はこの濃さが珍しく美味しくいただきました。

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主菜:自家製ナスとほうれん草と羊チーズのトルテリーニ、ラタトゥイユ野菜とパルメザン、ホワイトバター添え。
Hausgemachte Aubergine-Spinat Schafkäse Tortellini mit Ratatouille Gemüse und Parmesan Beurre Blanc

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デザート:ホットチョコレートケーキのバニラアイスとサワークリーム添え。
Laumwarmer Schkoladenkuchen mit Vanilleeis und Sour Cream
美味しかった。

 

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デザート:ルバーブ、バターミルク、アーモンド、ラズベリー添え。Rhabarber in Texturen mit Buttermilch, Mandel und Himbeere

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デザート:クレーム・ブリュレ. Creme Brûlée。間違いのない美味しさ。




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キャンディーバー。流石にお腹に余裕がなく、ドーナツは食べられず。





2021年の振り返り 〜 総括 〜

<2021年>

 

...ということで、

2022年の第一四半期の過ぎようとしている今、今更、2021年を振り返ってみました。

2021年、もっと勉強できたんじゃないか、もっと街の探検に出かけられたんじゃないか、もっとあれもこれもできたんじゃないか、とかって、思っていましたが、こうやって列挙してみてようやく、なかなか色々と経験していたんだということに気が付けました。

今更でも振り返ることに意味はありました。

ということで、既に3ヶ月過ぎてはしまったけど、2022年も色々と挑戦して、経験値を増やしていこうと思います。

2021年の振り返り 〜プライベート編〜

<2021年>

  • コロナ
    • コロナ2年目に突入。ワクチン接種の拡大に伴い、街にはゆるい空気が漂い出す。オミクロン型が蔓延してからは、ワクチン接種を完了した人にも感染が続出。ブレークスルー感染したような人は「普通の風邪と変わらないよ」というが、「普通の風邪」すらここ2年引いていないので、そもそも普通の風邪にかかるのですら嫌。健康でいたい。ということで、私自身は2020年に引き続き基本的に家に引きこもることで、自己防衛を図る。
    • 6月末に1回目、7月末に2回目のワクチン接種完了。副作用がなく、あまりにも元気だったため「二日目なら大丈夫かな」と、3時間ほどボルダリングを楽しんだ結果、翌日極度の疲労感にやられる。この日はほとんど仕事にならず。「月曜だから眠たいのかな。それにしても、凄まじい眠気だな」と思っていたが、「運動は二日目も控えるように」という旨の注意書きを後から知り、異常な疲労感は接種二日目のボルダリングのせいだったことを、遅ればせながら身を以て知る。自身の経験から、ワクチンの副作用を恐れる友人らには、「むしろ副作用がなくて元気だとしても、二日目でも運動はしないほうが良いよ」と自信を持って助言をしてあげることができた。12月には追加接種完了
    • 転職前(〜5月)は工場勤務で出社必須だったものの、転職後(6月〜)はホームオフィスが認められた。コロナが再拡大してきた11月から、うちの会社は原則2Gプラス(快復者、接種者でかつ検査結果陰性保持者)を打ち出した。ということで、11月辺りから出社回数が激減し、ほぼホームオフィス体制で勤務するようになる。
  • イベント、旅行、趣味
    • 7月、会社のイベントでライン川クルーズの船を借り切ったパーティーに参加。このイベントにDJも召喚していた。パーティー人間じゃないので、居場所を見つけるのに苦労。
    • 9月初、会社の社員旅行で、キャンプ場泊。7月の経験から、居場所を見つけられるか心配だったものの、結果的に楽しく終了。
    • 9月後半、木、月と二日間休みを取って週末にベネツィア旅行。2年ほどドイツに軟禁されていただけに、久しぶりに飛行機に乗ってドイツ国外旅行に出られたことにまず感激。食べ物が美味しい♪o(≧~≦)o  魚介類が新鮮 d(▽`*)。生のエビを食べられて感動 (*´༥`*)
    • 10月、会社のイベントで、シネコンのスクリーン一つを貸し切って「007 No time to die」を鑑賞。ポップコーン、飲み物付き、パートナー同伴可というイベント。本編始まる前の広告はなく、会社のチャリティイベントと夏の社員旅行の動画が流されたのみ。100人ほど収容可のスクリーンで、ほぼ満席だった。規模の大きさにとにかく驚いた。基本マスク着用の上での鑑賞だったものの、「飲食時のみはマスクを外していい」という例外を設けられていたので、最初の社長の挨拶で飲食を推奨された。2年間のコロナ自粛生活で久しぶりにこれだけの人が閉鎖空間に集まったことに、少し緊張。唯一残念だったのは、ボンドがドイツ語を話していたことかな。オリジナルで見たかった。
    • 11月、会社のイベントで、ニンジャ・ワールドという、サスケ的なアトラクション施設で遊んだ。全部で20ー30名ほどが来ていたけど、女性の参加者は少なかった。5、6名ほど。普段から体幹を鍛えるようにしていたので、私は結構よくできた方だったと思う。自画自賛☆⌒(*^∇゜)V 
    • 11月インターネーションズという、エキスパート向けに作られたSNS上で私を見つけた方から誘われて、ピックルボール(Pickleball)というアメリカ発祥のラケットスポーツを始める。基本のルールはテニスのようで、コートはバドミントンコート、ラケットは卓球のラケットよりちょっと大きいパドル、ボールは卓球ボールより大きくてプラスチック製、穴が開いている。球の速度が遅めなのと、ボレー禁止ゾーン、サービスエースを取れなくするようなルールのおかげで老若男女一緒に楽しめるスポーツ。中学バドミントン、高校卓球、テニス、大学テニスをやってきた私に、ぴったりじゃない♪ (´v`)。ということで、週に1回ピックルボールをプレーするようになりました。いままで全く聞いたことなかったけど、プロスポーツにもなっているほどの人気スポーツだそうです。
    • 12月初、会社のチームイベントで、レーザーターク(タークは、日、Dayという意味のドイツ語)で遊ぶ。敵味方のグループに分かれて、暗いプレイエリアで、味方以外をレーザー銃で撃つというゲーム。そもそも、普段から背後から声をかけられただけでビクッとするような私なので、待ち伏せされて撃たれた時には、毎回ヒエーって..・ヾ(。 ̄□ ̄)ツ 叫んでました。小心者の私には、心休まらない遊びでした。
  • 生活
    • 5月、 転職が決まってから、車で往復7時間ほどかけて、3週連続週末家の内覧に出かける。家の片付け・引っ越し準備があるのと、コロナでビジネス目的じゃない宿泊ができなかったのとで、全て日帰り。運転が嫌いなので、マジでしんどかった
      (;´д`) 一度、半分ほど走ったところで、予約取り消しをくらったこともあったっけ。ドイツはそもそも家の内覧予約を取り付けるのが、大変。都会はどこも住宅不足で家探しが超大変なんだけど、私が引っ越しすることになった街も例外なく。有名な家探しサイト(immonet、immowelt、immobilienscout24など)から問い合わせを行っても、返事はこず。仮に予約を取り付けられたとしても、内覧希望者が何十人といるので、借りられるとは限らず。街中の素晴らしく立地に恵まれた家を借りられることになったのは、本当に運が良かった。
    • 5月、転職活動が長引きそうだなと感じ始めた4月に申し込んだTechLabsのデータサイエンスコースが開始。本来はオンサイトのコースが、コロナ禍のおかげで、フルリモート開催。当時田舎に住んでいた私には好機。ということで、申し込んでました。まさか急遽仕事が決まるとは思わなかったので、仕事に加えてさらに新しいことを学ぶ余裕があるのかハラハラドキドキ。でもダメになるまでとりあえずやってみよう、という気構えで挑む。
    • 6月、フルリモートで仕事開始。家の掃除と引っ越しの準備を進めていく。ドイツに来てから街を変える引っ越しを2回したけど、2回とも会社が引っ越し費用を持ってくれていて、荷運び自体は苦労しない引っ越しでした。1度だけ自力の市内引っ越しをした時は同僚数名が手伝ってくれたので、疲れたけど楽しく引っ越しました。それが今回は引っ越し会社の費用を出してもらえないので、自力での初の街またぎ引っ越しとなりました。運転免許上3.5tまでのバンしか借りられないので、荷物はそれに収まるようにしないといけない。それに加えて、家も文句ない状態にまで磨き上げないといけない。荷物がバンに収まらなかったらどうしよう。洗濯機はちゃんと載せられるかな。荷出し、鍵の引き渡しが時間通りにいかなかったらどうしよう。あの床板の水汚れに、あの窓枠のシリコン残りに、あの壁のペンキの塗り方に、大家さんが気がついて、万一保証金以上の金額請求されたらどうしよう。。。と、引っ越し前は極度のストレス状態。有難いことに、引っ越し当日はパートナーが1日休みを取ってくれたし、本当に有難いことに、彼のお母さんは電車で2時間ほどかけてはるばる引っ越しの手伝いに来てくれたしで、なんとか無事に荷出し、荷積み、掃除、鍵の引き渡しを終わらせることができました。
      私が「ようやく掃除完了ε-(´・`) フー」って家を出た瞬間に、大家さんが到着したので、本当にギリギリ。家の前の積まれていない荷物を見て「あれ?まだ?」と尋ねられたものの、「家は完了してます(´Д`ι)アセアセ」と返答。何点か指摘されたことはあったけど、結果問題なく、掃除具合を褒められて無事に鍵の引き渡し完了。彼のお母さんが来てくれていなかったら、時間通りに終えられていませんでした。心から感謝。
      3.5tのバンは、運転が苦にならない彼が運転してくれて、私は助手席に鎮座。新しい街に向かう道中、最大のストレス源だった荷出し、退去を無事にクリアできた安堵からとめどなく涙が溢れてきました(´;д;`)
      入居はすんなり。荷入れには、知り合ってまだ間もない新しい同僚が手伝いにきてくれて、無事に終了。
      バンは駅前に駐車。翌朝パートナーだけ5時起きてして、バンを元の街まで返しに行ってくれました。12時までに返却しないと、料金が跳ね上がってしまうんですね。ここまでしてくれた彼には本当に感謝(・_・、) 今回の引っ越しは、周りの方の親切と協力があったからこそ乗り越えられましたo(・_・、)o ありがとう。
    • 7月、前の住人が喫煙者だったのとあまり綺麗好きじゃなかったようなのとで、新居が汚い。暇を見つけては、掃除に明け暮れる。中古でベットとたんすを購入。
      • 5月に開始したデータサイエンスコースで、プロジェクト分けがあった。私は、りんごの葉っぱの画像から、健康か病気か、病気ならどういう病気かを判断するプログラムを作るプロジェクトに参加することになった。
    • 8月、パートナーが移り住んでくる。20年一人暮らしをしてきたので、今更誰かと一緒に暮らせるのか不安でしたが(それも一部屋しかない)、暮らせました。
      中古でソファを購入。隣町までソファを引き取りに行く。
      • データサイエンスコースのプロジェクトはいつのまにか、プロジェクト発案者がいなくなり、最初のメンバー会議で盛んに発言していたメンバー達もいなくなった。TAが再呼びかけして、私を含む3名が残った。仕事も生活も新しく覚えたりこなしたりしなければならないことばかりで、そこにプロジェクトを入れる余裕なんてなかったけど、このコース、若者向けでほとんどの参加者は大学生(20代前半)。30後半は私一人だけ。今回ドロップアウトして、次申請したとしても、受け入れてもらえる可能性は少ない。ということで、しがみつきました。
    • 10月、5月に開始したデータサイエンスコースのプロジェクト発表。最終的には私以外のメンバー全員がいなくなり、残ったのは私のみ。本来私はデータサイエンスを学んだので、その部分でプロジェクトに貢献しようと思ったのに、メンバー全員が消えたために、AI(人工知能)パートもこなさなければならないことに。TAから簡単な方法を教えてもらって、詰め込みでなんと発表できそうな体に仕上げて発表。無事に終了証書を授与。最後詰め込みでやっただけなのに、AIコース終了ということで証書が発行されました。もとはデータサイエンスだったんだけど(;´∀`)
    • 12月末、彼の実家でクリスマスを過ごす。毎日ちゃんとしたご飯を用意していただけるだけでなく、食後のデザートと間食、クリスマスクッキーまで完備されているので、お腹の空く間がなく。増量は止まらないが、無駄な抵抗はせずヾ(;´▽`A
      • 大晦日、オンラインで両親と彼の初の顔合わせ。彼と話すのを極力避けようとしてきた両親なだけに、どうなることかと思ったけど、楽しく終わって、安堵。父が意外にもよく英語を話せていたことに、驚き。